2006年01月28日

信長株か、秀吉株か?

jk.gif信長株は、桶狭間以降に急上昇していたふしがある。

「功名が辻」の山内一豊は、この信長株を手に入れるが、それを手放し、
秀吉株に全生命力をつぎ込む。信長株はグループ本社の株で、秀吉株は
子会社の株である。
発行数が多く、時価も高騰していた信長株は、一豊には向かなかったの
かもしれない。

司馬遼太郎の原作では、そのことを見抜いたのも一豊の妻千代だった。
千代は、秀吉との邂逅のエピソードを一豊に話し、人となりを誉め、そ
れとなく秀吉株に乗り換えることをすすめる。一豊は織田家直参の籍を
残したまま秀吉の与力となる。
出向のようなもので、働きものの秀吉のもとにいたほうが、功名の機会
が多いというわけだった。

戦国のころの与力とは、侍大将などに貸し与えられる騎乗の武士のこと。
だから寄騎とも書く。戦場で馬に乗れるということは、雑兵ではなく将
校クラスの身分ということになる。
江戸期の与力とは、やや異なるかもしれない。かれらは、与力制度のも
と、町奉行所、京都所司代、大御番組などに属した。所司代は譜代大名、
町奉行などは旗本のなかから選抜されるが、与力は御目見(おめみえ)
以下の身分で、将軍に直接拝謁することはできなかった。
役目も一代限りだった。が、実際は子があらたに召し抱えられることに
よって世襲を維持した。
かれらは、奉行の家来(陪臣)ではなく、あくまで将軍直参だった。
奉行は、あるじではなく上司になる。将軍から力を貸し与えられている
から、こちらも与力なのである。また、似たような雇用形態である同心
の名も、もともとは戦場で心を同じにして加勢するということからつけ
られたという。

信長株は急成長を続けたが、本能寺の変で灰となった。
秀吉に投資を続けた一豊は、領地は小さいながらも諸侯のひとりに名を
つらねる身分となった。が、のちに創業者の秀吉が死ぬと家康株に乗り
換えた。家康という大将は260年の天下太平の世を築いた。一豊も国持ち
大名となった。

時空を超え、歴史を俯瞰でみるとき、すべての関わりがよくわかる。
だけど、その時間をなまみで生きている人間には、部分しかみえない。
目の前にある情報だけを頼りに、脳をしぼって勝ち馬に乗らなければな
らない。
一豊と千代は、売り時を誤らなかった。

功名が辻-題名の意味は(01/11)記事へ→
posted by 読書人ジョーカー at 15:46| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

信長と奇妙な塊

jk.gifオーストラリア南部の海岸で奇妙な塊が見つかったという。

「オーストラリア南部の海岸で、地元住民の夫婦がクジラが吐き出したと
みられる奇妙な塊を拾って家に持ち帰ったところ、これが香水の原料とし
て珍重される竜涎香(アンバーグリース)と判明。地元ABC放送による
と、塊の重さは14.75キロもあり、29万5000ドル(約3393万円)相当
の価値があるという…」1月24日〔AFP=時事〕

竜涎香(りゅうぜんこう)はマッコウクジラの体内でつくられる。
このクジラに「抹香」の名がつけられているのも、貴重な香の原料となる
塊を吐き出すからである。ところが竜涎香は、実のところクジラとイカの
合作のようなものらしい。

マッコウクジラは数百メートルの深海まで潜ってダイオウイカなどを捕食
する。イカは一部未消化のままクジラの腸に残り、これに分泌物が絡んで
固まる。つまり竜涎香は、ある種の結石のようなものとされ、体内で育っ
たのち、なんらかの刺激を受けて吐き出されるという。

クジラを捌いて無理に取り出したものは、あまり香りがよくないらしい。
それに、すべてのマッコウクジラが竜涎香を育てているわけではない。自
然に吐き出され、長い間、海洋を漂っていたものこそ貴重であり、香りは
このうえなく優雅であるという。
西洋では古代ローマの時代から珍重され、ときにおなじ目方の、金の数倍
の値で取引された。唐土では、海岸に漂着した高貴な香りを尊び、深い海
の底にひそむ竜の眠りによってもたらされた涎(よだれ)であると想像さ
れた。すなわち、竜涎香とよばれるようになった。

竜涎香は、動物性の香料であるが、植物性の香料のなかで、本邦至高のも
のとされてきたのが蘭奢待(らんじゃたい)である。
蘭奢待、正式には黄熟香とよばれるこの香木は、越南(ベトナム)産で、
鎌倉以前に日本に入ってきたといわれる。東大寺正倉院の伝説的香木とな
り、朝廷の宝物(ほうもつ)として門外不出であった。天下人のみが、そ
の香りを愉しむことを許されたという。

織田信長は、東大寺の僧が持参した蘭奢待を一見して「切れ」と命じ、そ
の場で強引に剥ぎ取らせたという。
現在、蘭奢待には数々の切り取り跡がある。いつ誰が切り取ったのか?
信長、室町幕府八代将軍義政、明治天皇の名を記した付箋(ふせん)が、
それぞれ切り取った場所に貼られている。家康も削り取ったといわれるが、
真相はわからない。

人を惑わす高貴な香りは、自然の神々の手になるものである。
そのあまりの希少性から、地上の権力者たち、あるいは莫大な富を得たも
のたちの果てしなき欲望の対象とされてきた。
それゆえに伝説となり、妖しいオーラをまとい始めた。

香がくべられ、煙とともに神々の匂いが立ちのぼるとき、地上の権力者た
ちは、天上世界を想うのか。仏の住まう極楽を想うのか。

posted by 読書人ジョーカー at 10:32| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

「六平太」の忍ぶ恋

恋の至極は、忍ぶ恋と見立て申し候。
逢ひてからは、恋のたけが低し。
一生忍びて思ひ死にする事こそ、恋の本意なれ。
                      山本常朝「葉隠」より

jk.gif六平太という渋い脇が出てきた。
NHK大河ドラマ「功名が辻」のほうの話である。
演じるのは香川照之で、女優の浜木綿子(はまゆうこ)を母に、三代目市
川猿之助を父に持つ、毛並みのいい役者である。

千代は幼いころの記憶を胸いっぱいに、一豊に忍ぶ恋をつづけていた。逢
えずに忍ぶ恋だからこそ、どうにもならないほど思いがふくらんいた。そ
れが、再会することで弾けた。破裂して、勢いが止まらなくなったのが、
第3回放送分における千代の激烈な行動でしょうね。
千代役の仲間由紀恵は、目が輝いていた。一豊に茶を出す場面、あのとき
の目は、たしかに恋する女の目であったと思う。

いっぽう、六平太は生き別れとなった千代を探していた。が、再会した千
代の心は一豊にあった。恋する思いを知るからこそ、六平太の忍ぶ恋はつ
づく。千代の恋を助けることでつづく。

恋の至極は、忍ぶ恋と見立て申し候。

相手とむすばれるだけが恋ではない。相手に恋の負担をかけるな。恋のた
けが低くなる。生涯思い続けて思い死にしてみろ。それが最高の恋である。

六平太は生涯にわたって千代を守り通し、最後は千代の盾となっていのち
を落とす。ついには忍ぶ恋を完成させるのである。葉隠れには、こうも書
いてある。「武士たる者は死に狂ひの覚悟が肝要なり」と。

六平太は、原作者の司馬遼太郎が小説世界に創造した人物だろう。司馬は、
しばし影のように生きる人間を絡ませて、物語をふかめる。
忍ぶ恋は、誰にでもあるものかもしれない。もちろんその相手は、いまの
夫や妻ではないだろう。
拾遺集に、こういう歌がある。

忍ぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで(兼盛)

思い当たる人は、気をつけたほうがいいかもしれない。

●『葉隠』関連書籍


posted by 読書人ジョーカー at 10:08| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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