2006年02月28日

信長の花押とクレジットカードのサイン(1)

jk.gifクレジットカードの裏面に書く署名だが、多くの日本人が、試験の答
案用紙に氏名を記入するように、楷書でしっかりと書いているのではない
かと思う。
これに対し、欧米人のサインは何が書いてあるのか読めない。アルファベッ
トが読めない。
もっともそれは、アルファベットではないのかもしれないのだが。

署名と記名は異なる。正式にはそうなっているようだ。
署名とは、本人がじぶんで氏名を書くこと。記名とは、本人手書き以外の
方法で氏名を記載すること。手書き以外というと、たとえばPCのキーを打っ
て出力したもの、他人が代筆したものなどがある。
クレジットカードの裏面には「ご署名」とあるから、本人がじぶんで書か
なければならない。

クレジットカードで決済するとき、本来、加盟店の店員は、客にその場で
サインをしてもらい、そのサインとカードに記載されているものが、間違
いなく同じものであることを確認しなければならない。つまり本人認証の
ための照合である。いまは書類をつくらず、CATを通してオンラインで処
理するため省かれることが多い。

署名は英語でsignature(スィグナチャー)である。サインは誤用で、和
製英語であるといわれる。辞書にそう書いてある。sign(サイン)には、身
振り、手まねや、符号、記号、標識などの意味がある。
signatureは、とくに書類などに人間が記載するsignのこと、すなわち本
人が書いたものであることを示す記号、符号ということでいいのではない
かとも思う。というのも、古くは文字を知らないひとが多かったからだ。
ヨーロッパの古い契約書などにも、絵のような、記号のようなサインをし
るしてあるものがある。

たとえばOO7(ダブルオーセブン)も、もともとはサインだったらしい。
この物語は、女王陛下に仕える千里眼能力者として、優秀な「目玉」とい
う称号を与えられた男をモデルにつくられたという。男は、目玉を表す、
ふたつのoを並べて、おのれのサインとしたという。

こうなると、サインは単に名を書くことではなく、本人のアイデンティティ
を表現するものということになる。本人認証のための、すなわちsignであ
るから、それは文字に限らなくてもいいのである。だから、欧米人のサイ
ンは読めないことが多い。読めないし、他人には書けない。書けないよう
なものにしなければならない。

じぶんだけのカタチを創造し、いつでもサッと書けるように練習しておく。
文字をデフォルメしてデザイン化したり、記号を加えたりして模索しなが
ら、大人になるまえに、サインのトレーニングを積む。かれらにとって、
サインは「実印」とおなじものだからだ。

筆圧や癖などは、ひとそれぞれに違う。速く書けば書くほど本性としての
個が出る。欧米人は、じぶんのサインを知りつくし、さらに他人のサイン
を鑑定する能力を磨いているのだろう。大統領だろうが、市井のひとであ
ろうが、公式の本人認証ために必要なのだから。

サイン社会では、他人には絶対に書けないような「ミミズののたくったよ
うな字」であるとか、悪筆のひとのほうがいいのかもしれない。
あまりの悪筆であれば、練習の必要もないだろう。悪筆は個性でもある。
逆に字のうまいひとは、想像力にかけるともいわれる。字は模倣の産物だ
からだ。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によると、維新の原動力となった吉田松陰の
門下生たちは悪筆ぞろいだったという。
芥川賞作家でもある石原慎太郎東京都知事は、悪筆として編集者のあいだ
では有名らしい。
また、ベートーベンは相当な悪筆で、ナポレオンもかなりの悪筆であり、
マルクスはとんでもない悪筆であって、アインシュタインにいたっては字
をおぼえるのにすら難渋したという。
posted by 読書人ジョーカー at 16:46| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月27日

戦場の首、国会の陣笠

jk.gif「功名が辻」の武者、それぞれの衣装について、すこし注目した。
第8回放送「命懸けの功名」では、千代さん(仲間由紀恵)の出番が少な
く、自然、男たちのいくさ場での装束に目がいった。

降参した朝倉の金ヶ崎城受け取りにむかう場面で、山内一豊(上川隆也)
は騎乗で、兜をかぶっていた。五藤吉兵衛(武田鉄矢)と祖父江新右衛門
(前田吟)らは徒歩(かち)で、鉢がねを巻いていた。他の足軽、雑兵た
ちは、陣笠をかぶっていた。

馬に乗り、兜をかぶっているのは、ある程度以上の身分の武者である。
戦場では「かぶと首」といわれ、つけねらわれる。
雑魚をいくらはたいても、たいして手柄にはならないからだ。

混乱のなかでも、敵と出逢うと、たがいに名乗りあう。
名を聞いても知らない名であれば、無視して一合もあわせない場合もある。
「よき敵」を見つけたい。
功名のためには、「名のある首」を探しまわり、掻き斬って持ちかえらな
ければならない。
あとで御大将に「首実検」してもらい、加増などの恩賞にあずかるのであ
る。いくつもの首を腰にぶらさげて、戦場をかけまわる猛者もいたという。

新右衛門らの鉢がねは、新選組の装束としてもなじみがある。
鉢巻きに鉄菱や鉄板を縫いつけてつくる。軽くて動きやすそうだ。面を打
たれたとき、頭蓋骨を割られて致命傷になるのを防ぐ。新選組隊士は、戦
国武者のように鎖帷子(くさりかたびら)まで着こんでいたようだ。

足軽たちがかぶっていた陣笠は、ドラゴンクエストの防具にたとえると、
「てつのぼうし」「かわのぼうし」だろう。獣皮をつかうばあい、漆をぬっ
て強化した。農民たちがいくさ稼ぎにくわわるときなどは、他の防具とと
もに具足一式セットとして貸し出される。

ふつうの戦場ではなく、城あけ渡しの場面ではあったが、一豊は、華麗な
具足を身にまとった敵将の三段崎勘右門(岡田正典)に目をつけた。
朝倉方はすでに降参している。戦争そのものの決着はついているのに、
一豊はなおも功名たてようとして大怪我をした。信長からは「養生せよ」
のひとことでかたづけられた。
ほんとうの功名は、秀吉とともに退却のしんがりをつとめることで、のち
にたてる。

いっぽう、平成の国会では、陣笠議員が「命懸けの功名」ねらいにでて、
逆に討ち取られたようだ。
posted by 読書人ジョーカー at 19:29| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

最後の将軍、義昭と慶喜

「人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。
徳川十五代将軍慶喜というひとほど、世の期待をうけつづけてその前半生
を生きた人物は類がまれであろう。そのことが、かれの主題をなした。」
                -「最後の将軍」司馬遼太郎より-

jk.gifNHK大河ドラマ「功名が辻」第7回放送分で三谷幸喜演じる足利義昭
が将軍に宣下された。
最後の将軍となった足利義昭と徳川慶喜は、ある血筋にうまれたために、
歴史によってある役割を背負わされ、命を運ばれたひとたちなのだろう。
そのために、人生の切所での行動が後世に知られることになった。
滅びゆく幕府の幕(まく)を、どうおろすか。
かれらの役目は、この一点にあったにちがいない。歴史の回転力にはさか
らえない。

足利義昭は、12代将軍義晴の次男としてうまれたため、将軍にはなれずに
出家していた。が、兄の将軍義輝が殺されたため、まわりに担がれて還俗
した。将軍になるために、ちからのあるものを頼って放浪し、やがて信長
にひろわれ、念願の将軍になった。筋目の権威だけはあるが、ほとんど一
兵ももっていない将軍だった。信長がいうことを聞いてくれないと、八方
に信長討伐の令を発する。じぶんの立場がわからず、時代の空気が読めな
いひととして、いつも悲惨な描かれかたをする。
最後は、信長によって、野にほうりだされた。

いっぽうの徳川慶喜は、将軍になることを拒みつづけたひとだった。
出身は尊皇思想の源流であった水戸徳川家で、母は有栖川宮家の王女だっ
た。
期待され、請われ、無理矢理に説き伏せられて将軍になったということを
世間に印象づけることにこだわった。
そして最後の将軍であることを自覚し、そのように動いた。みずからの行
動が、後世に伝えられることを意識しながら生きた。
最後は、「政権という荷物を御所のなかにほうり投げた」。

征夷大将軍とは令外の官(りょうげのかん)で、もともとは東のほうの夷
を討ち、中央政権にしたがわせるための役目をもつ職だった。討ったあと
もしばらく駐留し、その地を治める総督のような立場になる。
日本に進駐してきて、日本を変えてしまった連合軍のマッカーサー元帥の
ようなものかもしれない。初代坂上田村麻呂が、東北の地で農業指導をし
たと思われる水田跡なども残っているという。

征夷大将軍、源慶喜。従一位、内大臣、源氏長者、右近衛大将、右馬寮御監、
淳和奨学両院別当。維新後は従一位公爵、贈正一位。
重々しい官位をたくさんつけながらすごした人生だった。

じぶんの人生が、後世に知られることを意識しながら生きるとは、
どういう感覚なのだろうか。

●「最後の将軍-徳川慶喜」司馬遼太郎


posted by 読書人ジョーカー at 14:02| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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