2006年04月17日

厠をのぞく女

たまげるは、魂消ると書く。
夜中に厠に立った一豊(上川隆也)を、格子の向こうから白い着物を着た
女がのぞいていた。しかも闇の中で笑っていた。そんな目にあったら、一
騎当千の武者だって魂消げる。心臓が止まってしまうかもしれない。一豊
は悲鳴をあげて寝間に逃げ戻り、ふとんにもぐり込んだ。

大河ドラマ『功名が辻』、第15回「妻対女」。
いくさのない日々が2回も続いたので、山内家と羽柴家のなかのごたごたが、
いろいろあった。
命懸けで働いて家を大きくしても、一豊には継がせる子が出来ない。
祭祀を絶やすことになると先祖には申し訳ないし、主君に対しても限りな
く不忠だった。
近代的自我の確立した、好き勝手に生きていい時代とは違う。
ただ戦国の頃は、苦労をともにし、いっしょに家を創って行くことで、夫
婦の絆は強かったとも思う。
「わしがほしいのは千代の子じゃ」という一豊の科白も、気分としてはよ
くわかるし、史実のなかの一豊、光秀なども、生涯側室をおかなかったと
もいわれる。

子が出来ないことに対し、一豊は優しいから、千代(仲間由紀恵)はよけ
いに辛い。
そこに小りん(長澤まさみ)がつけ入って、ストーカーまがいの行為を繰
り返す。が、その小りんもどこかせつなく痛々しいのである。もう、とり
あえず泣くしかない。

「長篠の戦い」が始まることを告げる、法螺貝と太鼓の音が、闇のなかに
鳴り響いた。
世界戦史上初といわれる、三千挺の鉄砲による信長軍の「一斉射撃」が行
われる。
posted by 読書人ジョーカー at 11:09| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

「功名が辻」の意味とは?

功名が辻、タイトルの意味について→1月11日記事へ
【功名】手柄を立て名を上げること。また、そのような手柄。
【辻】道が十字形に交差したところ。十字路。みちばた。街頭。


今年も三分の一が過ぎようとしている。
大河ドラマ「功名が辻」も、放送14回を数えた。
一豊(上川隆也)は、まだ400石の身上で、功名の上り坂にある。
これから「功名が辻」の意味と主題が深まってくるのではないかと思う。

人の一生に主題などあるのだろうか。
現実に動いている人生は、ややこしいことを考えている暇などない。
泣きながら日々を生きていくだけで精一杯である。

市井に生きた人は、後世に語られることはない。
お祖父ちゃんは大酒飲みだったとか、お祖母ちゃんは働き者だったとか。
せいぜい、そのくらいだ。
だが、大きな功名をたてた人間は、のちの世にまで語り継がれる。
そして、その人がどう生きたかについて、後世のひとが評価する。
人それぞれの評価のひとつが、ドラマや小説のテーマとなったりする。

一豊の生きた場所は、功名を強く求める人間が集まった「時代の辻」であっ
て、その中心核に信長や秀吉がいた。
信長や秀吉には、どんな世を創るかというビジョンがあったが、一豊や堀
尾吉晴(生瀬勝久)、中村一氏(田村淳)は、自分の器量のなかで、ひた
すら功名を求めて精一杯生き抜くだけだ。
千代(仲間由紀恵)は、いくさを嫌い、いくさのない世を望むと言いなが
ら、一方では一豊を一国一城のあるじにするために、さまざまな策を授け
たりしている。

信長、秀吉、光秀など、あふれるような才能とエネルギーに満ちた人たち
は、派手に咲いて、パッと散った。「難波のことは夢のまた夢」だった。
それほどの才覚がなくても、自分をよく知り、人に慕われ、ひたすら真面
目で忠実に生きた一豊は土佐二十四万石の太守にまで上り詰め、子孫は江
戸期を通じてずっと大名であり、戦前までは華族だった。
家康は幼い頃今川の人質となり、信長に妻子を葬られ、いくさにつぐいく
さの人生を送ったが、最後に「元和偃武」で自ら武を封印し、三百年の太
平の世を創った。
「功名が辻」に集まった人たち、それぞれの性格や生き方を通して、また
それぞれの一生の主題がみえてくるだろうと想う。
posted by 読書人ジョーカー at 13:39| Comment(0) | 「功名が辻」の意味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

謎解きフェルメール

謎解き フェルメール

フェルメールの作品数は少ない。
真作とされているものは、30数点しかない。
真贋について、研究者のあいだでも、まだ議論の定まらないものが4点ほど
あるという。

フェルメールは古典的な物語画家として出発し、のちに、17世紀のオラン
ダ市民を描く風俗画家へと転向している。
同じフェルメール作品でも、物語画と風俗画では大きな違いがある。
このことが、鑑定を難しいものにしているという。
「フェルメールの絵」には、真にフェルメールの手になる真作と、同時代
の画家が描いた非真作、そして意図的に作られた贋作があるのである。

稀代の贋作者といわれたハン・ファン・メーヘレンは、『キリストと悔恨
の女』という「フェルメールの絵」を制作し、ナチス・ドイツの国家元帥
で、美術蒐集家でもあったゲーリングを見事にあざむいた。
メーヘレンは、のちに国家の宝を国外に売り払ったとして起訴された。
彼は、「自分が描いた」と告白したが、容易には信じてもらえなかった。
そのため、法廷で実際に絵を描いてみせたという。

『謎解きフェルメール』小林頼子・朽木ゆり子著(新潮社)ではフェルメー
ルの生涯をたどりながら、32点の作品をカラーで紹介している。それぞれ
の絵が描かれた背景、絵に込められた思いや寓意なども綴る。

フェルメール独特の、光と構図の秘密とされる「カメラ・オブスキュラ」
についての解説も面白い。「カメラ・オブスキュラ」とは初期の写真機で、
フェルメールは、レンズを通して見た光景をもとに絵を描いたのではない
かといわれている。本書では、CGによる構図の分析を行いながら、そのカ
メラのような道具を本当に使ったのか否かを詳細に検証している。

贋作者メーヘレンの絵を、カラーで8点も載せているのがよかった。
それらは、フェルメールに似せた単なる贋作ではないと感じた。
ひとりの作家の手による、独立した作品としての質と世界観があった。
そうでなければ、オランダ美術史界の重鎮アブラハム・プレディウスや、
ゲーリングらをあざむくことはできなかったと思う。
ただ、メーヘレンの絵には、どこか暗く冷たく、なにやら恐ろしい雰囲気
が漂っているような気もする。
「稀代の贋作」は、アムステルダム国立美術館などに所蔵されている。
posted by 読書人ジョーカー at 17:16| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。