2006年04月11日

お湯加減は、いかが?

格子の向こうから、千代を覗く男の顔が可笑しかった。
はじめは説教をする吉兵衛(武田鉄矢)の顔で、次は湯に煙った困惑顔の
一豊(上川隆也)だった。
千代は、一豊が疲れを癒すための湯殿を、自分の手で磨いておきたかった
のかもしれない。
『功名が辻』第14回、「一番出世」より。

湯殿から離れたところに小さな釜があった。
「お湯加減は、いかがでございます?」
千代は、声を掛けながら、外の鉄鍋に沸かした湯を、柄杓ですくって樋に
注ぎ、湯殿のなかの湯槽へ流していた。ときどき熱い湯を足して、湯が冷
めないようにするのだろう。
あんな風呂は見たことがない。
五右衛門風呂、長州風呂といった、鋳鉄の釜に溜めた水を直接沸かす風呂
は、もう少しあとの時代に広まったのかもしれない。石川五右衛門は、安
土桃山時代の盗賊で、最後は釜茹での刑になった。史実かどうかは別にし
ても、それが五右衛門風呂の名の由来であることは有名である。

家に湯殿を造ることは、経済的に余裕ができた、という理由だけではなく、
織田家の序列による「格式」のようなものだったのかもしれない。武将た
ちは、屋敷の湯殿を接待に使ったといわれる。
もっとも高い「格式」は、茶会を催すことだった。信長が茶会を許したの
は、秀吉、光秀ら4人の武将のみといわれる。茶会はともかく、家に湯殿
があるかどうかは、女たちにとって、大騒ぎするほどの問題だった。

まるで昭和30〜40年代の、風呂のある家にあこがれた主婦たちのよう。
「隣に蔵が建てば、わしは腹が立つ」
戦国の世も高度成長期で、まわりはどんどん出世していく。他人の生活の
変化が気になって仕方がないのである。

「寝たいだけ 寝たからだ 湯にのばす」 山頭火
あせっても、どうにもならない。堀尾吉晴(生瀬勝久)のように、まずは
ゆったりと湯に浸かり、次の機会を待つのがいいのかもしれない。
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2006年04月04日

一豊、男泣き

一豊(上川隆也)は、万福丸を磔にしたことを、千代(仲間由紀恵)に告
白した。懺悔するように功名とは何かを問い、とめどなく涙を流した。
泣くだけ泣いたあとの、みんなで飯を食うシーンが、やけに清々しい印象
だった。
『功名が辻』第13回、「小谷落城」より。
 
どんな人間の中にも、鬼と仏の両方が棲んでいる。
相手の中の「鬼の部分」が牙を剥いて襲ってきたら、こっちも鬼を出して
首を掻ききれる。
だけど、幼い万福丸の中には、まだ鬼がいない。
信長(館ひろし)は、鬼が育つ前に、長政のところへ逝かせよと命じた。
一豊は、無垢な万福丸を磔にした。一豊の中の、仏の部分が大泣きした。

功名を求めるなら、自分の中の鬼を前に出していかなければならない。
功名とは、いつの時代も、鬼同士の奪い合いに勝つことだからだ。
鬼の大将である信長は、鬼であることの孤独を噛みしめ、仏を封じ込めた。
まだ小鬼にすぎない一豊は、千代の胸で泣く。
泣くだけ泣いたら、また「功名が辻」へ走り出さなければならない。
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2006年04月02日

幕末、一足一刀の間合い

幕末の志士たちには、剣術の達人が多い。
坂本龍馬は北辰一刀流の桶町・千葉道場、桂小五郎は神道無念流の斉藤弥
九郎道場、武市半平太は鏡神明智流の桃井春蔵道場で、それぞれ塾頭まで
つとめている。いずれも門弟千人を超える名門道場だった。

下級武士が立身するためには、剣術をやるか、学問をやるかの、どちらか
しかなかったらしい。
桂小五郎は、養子として桂家を継いだため、家禄を減らされていたという。
坂本龍馬は次男のため、継ぐ家がなかった。剣術で生計を立てようとした。
時代が沸騰していなければ、ふたりとも剣道の先生として平穏に人生を終
えていたかもしれない。

旗本小普請組の倅だった勝海舟は、蘭学を深め、咸臨丸の艦長に抜擢され
たが、剣術も熱心にやったという。幕末の三剣士といわれた島田虎之助に
学び、直心影流の免許皆伝をゆるされている。
西郷隆盛、大久保利通などの薩摩藩士たちは、一太刀で相手を倒すことを
心得とする示現流で胆力を磨いていた。

剣術は、人と人が異様に張りつめた空気の中で対峙するところがおもしろ
い。剣術修業で身につけた精神力こそ、幕末という時代を動かしたのでは
ないかとも想う。

薩長同盟、大政奉還、江戸無血開城など、すべて一触即発の空気があった。
振動する空気の中、人と人が、一足一刀の間合いで対峙した。踏み込めば、
互いに一瞬で相手を打突できる危険さがあった。
自分の命だけではない。すべての日本人の運命が背中にのしかかっていた。
並の人間なら震え上がったかもしれない。

膝詰め談判で相手が押してくる。裂帛(れっぱく)の気合いを込めて押し
返す。相手の呼吸を読み、ときに虚を突き、ときに無言の攻撃を仕掛ける。
決裂すれば、やるぞと脅す。最後は理屈ではなく、精神の力がものをいう。
土壇場での胆力こそ、もっとも大事なものかもしれない。
posted by 読書人ジョーカー at 07:57| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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