2006年05月30日

一豊は、馬づらではない

一豊は馬面(うまづら)ではなかったようだ。
山内家に遺る肖像画の中の一豊は、やや下膨れのふっくらとした丸顔である。
上川隆也も馬面ではない。
馬面の男が馬に頬ずりしたりすれば、その光景は奇妙である。

司馬遼太郎や池波正太郎の小説には、しばし馬面の男が登場する。
たんに顔が長いだけではなく、顔の体積が大きくなければ馬面とはいえな
いだろう。頭の鉢に奥行きがなければ馬のような雰囲気が出ないのである。
小説に登場する馬面の男は、馬面というだけで親しみがあり、悪い人のよ
うな感じがしない。

功名が辻、第21回「開運の馬」。
馬は、もともと臆病な動物で、戦場の太鼓の音や銃声、怒声、血の匂いに
慣れさせるのが大変だったという。馬が暴れ出すと手がつけられない。
馬を選ぶなら、上質の軍馬としての素質を見定めなければならない。骨格
や肉付きだけではなく、目の輝きから、その馬の持って生まれた性格や精
神力を感じとらなければならないだろう。
一豊の馬は、戦闘馬を知り尽くした織田の侍たちを唸らせ、信長の心にも
響いた。

騎馬武者は重量で突進して敵の陣形を崩したり、機動力を使って奇襲をか
けたりするが、戦いの主軸はあくまで歩兵である。
だけど、黒澤明の映画「七人の侍」を観ると、戦闘における馬の迫力や恐
ろしさがわかる。
豪雨の中、地を割るような馬蹄の音が連続し、はね飛ばされた泥がスクリー
ンを破って飛び出してきそうな勢いである。もの凄いスピードで襲いかかっ
てくる騎馬の野武士は、地獄の使者ではないかと思うほど、ほんとうに恐
ろしい。

馬は、普段はおとなしいが、激しさを秘めている。
功名が辻のキャストの中で、最高の馬面といえば黒田官兵衛役の斎藤洋介
だろう。
のほほんとした馬面の男がたくらむ、天下をひっくり返すような策略がお
もしろいと思う。
posted by 読書人ジョーカー at 15:53| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月27日

泣ける本

人間には喜怒哀楽の感情の揺れが必要で、あまりに起伏のない日常が続き
すぎると健康にもよくないし、精神が鈍くなって抜け殻のようになってし
まうかもしれない。
かといって、泣くためにわざと現実としての不幸を呼び込むわけにもいか
ないので、たいていの人は小説を読んで涙を流したり、映画を見て手に汗
握ったりしている。
『洗脳原論』(苫米地英人・春秋社)によると、人間には恒常性を維持す
るためのホメオスタシス機能というものがそなわっていて仮想的なイメージ
にも、現実体験と同じように体が反応するという。要は想像力次第となる。

深沢七郎の『楢山節考』(新潮文庫)には、以前大いに泣かされた。
中央公論社の新人賞を獲った作者のデビュー作で、選考委員の三島由紀夫
が絶賛したという昭和の傑作のひとつである。
島崎藤村の『夜明け前』は「木曽路はすべて山の中である」で始まるが、
こっちも、

「山と山が連なっていて、どこまでも山ばかりである」

という書き出しの見事な一文は負けていない。
物語は信州の姥捨山伝説を題材としているが、雰囲気は明るく強い。始ま
りは、どこかユーモラスですらある。
おりんが村に嫁に来たのはもう五十年も前のことだった。来年は楢山まい
りに行く年である。倅の辰平の後添いのことだけが心配だったが、隣村に
後家が出た。年格好さえあえば話は簡単だった。
後家の玉やんはいい人だった。連れ子で孫がふえた。おりんは早く山へ行
くために、健康そのものだった自分の前歯を石で折る。辰平は来年にせい、
ゆっくり行けというが、おりんは「ねずみっ子」の生まれんうちにとせか
す。昔は山に捨てられた老婆が這って帰ってきたこともあるというが、お
りんは明るく気丈だった。
おりんは辰平に背負われて山へ行く。おりんは無言で倅の背中を押す。辰
平が泣きながら山を下り始めると雪が降り出す。辰平は猛然と足を返して
戻る。
「おっかあ、雪が降ってきたよう」

「辰平はそっと岩かげから顔を出した。そこには目の前におりんが座って
いた。背から頭に筵を負うようにして雪を防いでいるが、前髪にも、胸に
も、膝にも雪が積もっていて、白狐のように一点を見つめながら念仏を称
えていた」

飢えた子の前で、文学は有効か?
という問いが昔からあるようだが、現代では飢えや苦悩を体験するために
小説を読むこともある。
物語とは、いまの人間にとって衣食住と同じくらい大切なものなのかもし
れない。
posted by 読書人ジョーカー at 13:58| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

人間は何でも食う

雪に兜がきれいだった。
三木城開城は、天正8年1月半ばのこと。
兵糧攻めで干上がった人たちを、呆けたような顔で見つめる一豊(上川隆也)
の兜に雪が落ちてきた。
冷たい鉄の兜に、雪が舞う絵が奇妙に美しく感じられた。
功名が辻、第20回「迷うが人」。

司馬遼太郎の短篇に、籠城中、一人だけやたらと血色のいい女の話が出て
くる。女は、籠城にそなえて壁に埋め込まれていた「するめ」を見つけて、
こっそりと食っていたという。土壁には干し草や藁が混じっているが、こ
れは食えるものなのだろうか。食えたとしても、栄養もなにもあったもの
ではないだろう。

飢えた人間はなんでも食うという。
有馬頼義の「兵隊やくざ」という小説に、軍靴を煮て食う話が出てくる。
牛革だから三日三晩ぐらい煮込むとやわらかくなるのかもしれない。
大岡昇平の「野火」では、同じ兵隊の安田という男を食ったのか食ってい
ないのかはっきりとしない。主人公の記憶が失われている。左手で食おう
とするが、右手が止めたとかいう話ではなかったか。
ただし、人肉を食った兵隊の話は、他にいくらでもある。

「武士は食わねど高楊枝」と言うが「腹が減ってはいくさはできぬ」とも言う。
格言は矛盾している。
兵糧攻めは、小りん(長澤まさみ)が言うように卑怯とは思わないが、
殿様が意地を張って粘ると悲惨である。
秀吉は百姓の出で苦労人だったから、人間の弱点をとことん知っていたの
かもしれない。
posted by 読書人ジョーカー at 12:45| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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