2006年08月28日

捨て子は強い

山内家の門前に男児が捨てられていた。
千代(仲間由紀恵)は、その子を抱いて離さなかった。
一豊(上川隆也)は「家督は継がせない」というが、山内家で育てるこ
とを認めた。
子は拾(ひろい)と名づけられた。
功名が辻、第34回「聚楽第行幸 」

「捨て子は強い子になる」
という言い伝えが古くからあったらしい。

そのため、わざと拾や捨の字を使う場合もあった。
秀吉も、淀殿との間に生まれた男児に拾という名をつけている。
のちの右大臣豊臣秀頼である。
秀頼の前に、もうひとり男児があったらしい。
こちらの方は、お捨(鶴松)、つまり捨てられたという意味の名をつけ
られたが、育たなかったようだ。鶴松の死後、2年のちに秀頼が生まれ
ている。

秀吉は、ようやく授かった男児が丈夫に育つよう、城の外にいったん捨
て、ふたたび拾い上げるという儀式じみたこともやったといわれる。
そのせいかどうか、秀頼は大きく育った。
慶長17年、19歳の秀頼に謁見したイスパニア使節セバスチャン・ビス
カイノの記録によると、六尺五寸を超えるという、とんでもない巨漢だっ
たようだ。身長は2メートルに近い。しかも相当な肥満体だったらしい。

千代と一豊の拾は、出家し、妙心寺大通院二世湘南宗化となる。
千代のために、大通院に見性閣を建立した。
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2006年08月25日

子猫殺し「池猫」

作家・坂東眞砂子の「子猫殺し」なるものに批判が集まっているらしい。
日経新聞(8月18日夕刊)に寄稿したエッセイで、板東氏は子猫を殺し
ていると「告白」した。
タヒチ島に住む氏は、雌の猫を三匹飼っているという。これらが子を産
むので、生れ落ちるや、子猫を隣の崖下の空地に放り投げているという
のである。氏は避妊手術という処理方法を選ばなかったようだ。
「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任と
して子殺しを選択した」
というのである。
ただし、タヒチはフランス領で、こうした行為はフランスの刑法に抵触
する可能性があると指摘する向きもある。

坂東眞砂子は「日本ホラー小説大賞」出身の作家といえるのかどうかわ
からないが、「蟲 」(角川ホラー文庫)という作品が同賞の第1回佳作
となっている。
「第6回日本ホラー小説大賞」の大賞作品となったのが、岩井志麻子の
「ぼっけえ、きょうてえ」(角川ホラー文庫)で、こちらは人間の子殺し、
すなわち、かつて日本の寒村で実際に行われていたという「間引き」の
話が物語を綴る上での大切な要素のひとつとなっている。

動物は「余分」に子を産むようになっている。
魚などは無数といっていいほどに産む。
それが自然のなかで、うまく育たなかったり、他の生き物に食われたり
して、ほとんどが親になるまで生きていない。自然に適正な量となり、
種が存続している。
自分で間引いたり避妊しなければならない人間と、そしてその人間社会
との関わりのなかで生きている家猫や家犬は、ともに奇妙な動物といえ
るのかもしれない。

子猫殺しで思い出すのは、筒井康隆の「池猫」という掌編である。
(「にぎやかな未来」所収/角川文庫)
男は少年の頃、飼い猫がやたらに子を産むので、しまいには面倒になって、
片っ端から近くの池に子猫を捨てるようになった。
成長し、実家を離れた男が、ある日帰省した。
ふと思い立って件の池を見に行った。
男はそこで、世にも恐ろしいものを目撃した。
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2006年08月21日

無事是名馬

法秀尼が他界した。
千代(仲間由紀恵)の深い涙が、一豊(上川隆也)の悲しみを和らげて
くれたような気がした。
功名が辻、第33回「母の遺言」。

上川隆也は「無事是名馬を目指す」の精神で、大河ドラマという長丁場
を戦い切る思いを表していた。

「無事是名馬」は、突出した力はなくても、怪我をしないで長く走る競
走馬こそ名馬であるという意味合いの、菊池寛が放った名言。「無事是
貴人」を捩ったものらしい。
「無事是貴人」は、臨済義玄の語録「臨済録」にある言葉で、歳末など
に大過なくすごせた1年に感謝する気持ちの表現として使われることが
多い。もっとも禅語であるから本来は、いかようにでも深い意味を創り
出せる言葉だろうとは思う。

また、山本周五郎の短篇小説に「日々是平安」というのもある。
黒澤映画「椿三十朗」の原作ともなった。三船敏郎の演じた抜き身の刀
のようにギラギラした「椿三十朗」とやや違って、主人公は、のほほん
とした感じで気ままに人生を送っているような風である。

人間は特別なことをしないで、ただ生きていくだけでもいろいろ辛いこ
とがあるし、業のようなものは日々積み重なっていく。自分は何もしな
くても周囲の問題が飛び火してくることもある。怠けていたツケは必ず
あとから支払わされる。親はいつまでも生きているわけではないし、次
第に責任のようなものがのしかかってくる。
ただふつうに生きて、天寿をまっとうするだけでも人は貴いのかもしれ
ない。
「無事是名馬」となることは、大変な努力と気配りがいるのではないか
とも思う。
posted by 読書人ジョーカー at 09:36| Comment(0) | 「功名が辻」関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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