2006年11月20日

夜の種族

f.jpg


梟は顔が大きい。
パラボラアンテナのように指向性の高い大きな顔盤で、遠くの微かな音
も集音するらしい。
闇に神経を研ぎ澄ませている。
首は「エクソシスト」の少女リーガンのように真後ろまで自在に回る。
両耳は顔盤の後ろにあって、その位置は左右非対称である。
このため、音の到達時間が微妙にずれる。
そのずれを瞬時に計算し、獲物までの距離を割り出すという。

「梟が ふはりと闇を 動かしぬ 」 米澤吾亦赤

獲物が少しでも動いたら、ふわりと音もなく飛び立つ。
独特の風切り羽を持つため、ほとんど無音で飛行できるという。
他者の音は逃さないが、おのれ自身は音を立てない。
俊敏な野鼠たちも、気づいたときは餌食にされている。

梟の体には知恵が詰まっている。
ギリシャ神話では、知恵を司る女神アテナに従う聖鳥となっている。
森の賢者ともいわれ、図書館や学校、出版社の紋章にもなることも多い。

「ふくらうはふくらうで わたしはわたしで ねむれない」 種田山頭火

梟は夜の種族である。夜目が利く。
夜の種族には、詩人、芸術家、哲学者などもいる。
夜は妄想が湧いてくるし、深い思索も行われる。
感覚を研ぎ澄ませて、闇の中から創造する。
歴史は夜つくられるともいう。
陰謀も犯罪も夜が舞台である。
冴えた頭に梟の啼き声が響いて、濃い妄想や、鋭い知恵を呼び覚ますの
かもしれない。
posted by 読書人ジョーカー at 16:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

柿食って想うこと

久しぶりに柿を食ったが、けっこう堅いんだなあと感じた。
最近は、堅いものをあまり食っていないような気がする。
というか、堅い食い物が周囲にほとんどない。
知らないうちに、柔らかいものばかりを食うようになっていたのかもし
れない。
いまどきの子供たちも、堅いものは食べないそうである。

僕にとって、柿が堅いなどという意識はなかった。
子供の頃に食っていた、しょうゆ焼き煎餅などは鬼のように堅かった記
憶があるし、手でも容易には割れなかった。ごく稀だったと思うが、給
食に乾パンなども出た。駄菓子屋に一個5円で買えるマウスボールぐら
いの大きな飴もあった。飴は舐めるものだというが、僕はすぐに噛んで
バリバリ食ってしまっていた。
柿などは、堅い食い物ではなかったのである。

堅いものを好まない、顎の細い子供がふえているらしい。
ジャニーズ顔とかに見られる、若者の顎はどんどん細くなっているよう
な気がする。
ダーウィンによると獲得形質は遺伝しないというが、人間はやがてグレ
イとかいう不気味な宇宙人のような顔になるのかもしれない。
あれは、進化したのか退化したのか知らないが、未来の人間のありふれ
た顔なのかもしれない。

噛むことと、視力には関係性があるという。
噛むことは眼の水晶体を司る筋肉にもいい影響を与えるらしい。
よく噛む人は視力も良いという。
反対に、視力の悪い人は、あまり噛まない傾向にあるといわれる。
書店に行くと、視力回復の本がたくさん並んでいる。
レーシックとかいう手術で、一気に回復してしまうことを勧めているも
のもある。
しかし、視力回復を考えるのなら、まず噛むことから始めるのがいいの
かもしれない。

僕が子供の頃、まだ若かった叔父が、ビール瓶の栓を、わざと歯で抜い
ていたのを思い出す。
肴は噛み続けるほどに味の出る、するめが多かったように記憶している。
馬鹿馬鹿しい力技だが、丈夫な歯と逞しい顎は、強い生命力のあかしな
のかもしれない。
posted by 読書人ジョーカー at 17:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

世にも怖い弁当

小判コンパクト弁当友禅楽園紫 お弁当箱

弁当は旨い。
自家製の腰弁当でも、駅弁でも、冷えためしと冷えたおかずが旨いわけ
であって、ほかほかな弁当などは本来邪道ではないかと思うが、昔流行っ
た保温ジャー付きの弁当箱がいまも市販されているところをみると、温
かい弁当が好きな人もいるのだろう。好みはいろいろである。
そういえば僕が通った幼稚園では真冬など、朝、家から持ってきたみん
なの弁当箱を大きな保温器に入れていた。
弁当についての遙かなる遠い記憶である。

弁当は、旧字体では辨當、台湾あたりでは便當と書くらしい。
野良仕事や旅路の携帯食としての握り飯や干飯(ほしいい)などは、日
本人が米を炊くようになってすぐに生まれたと思うが、弁当箱にいろい
ろとおかずを詰めて、いわゆる弁当として食べるようになったのは信長
の頃からのようなのである。

たとえば城で飯をふるまう時、弁当にして配れば、いつでも、どこでで
も自由に食べられるし、給仕の手間も省けて合理的である。名のある武
将たちには、漆塗りの器にでも詰めた、料亭の仕出し弁当のようなもの
を配ればいい。何ごとにも合理性を好んだ信長らしい「発明」といえる。
信長を真似た秀吉が、のちに醍醐の花見や茶の湯の会などで豪勢な弁当
をふるまったとすれば、そうした楽しい風習が、大名家や庶民の間にも
広がっていったのもうなずける。

いまネット上には、「お弁当ブログ」なるものがたくさんあって、旨そ
うな手作り弁当がいろいろと見られる。中には似顔絵弁当など、旨さよ
りもインパクトを狙っているようなものや、工夫を懲らしすぎて悪ノリ
しているとしか思えないようなものまである。
しかし、手製の弁当が広がるのはいいことで、コンビニ弁当やチェーン
店の弁当に愛はなく、ふたを開ける楽しみもない。
あるのはマーケティングと無用の添加物である。

さて、実在した話ではない(と思う)が、この世でもっとも怖いと感じ
た弁当がふたつある。
ひとつは筒井康隆の人間弁当である。
人喰人種に捕まった関西弁の男が、縛られて連れ回される。人喰人種の
腹が減った時に喰われるに違いない。男が生きながらにして弁当にされ
る話である。「人喰人種」(「最後の伝令」新潮文庫所収)

もうひとつは古谷三敏の「ダメおやじ」(小学館)に出てくる金魚弁当。
オニババことダメおやじの妻は、ダメおやじへの嫌がらせとして、会社
に行くときに持たせた弁当の中に、おやじが可愛がっていた金魚を煮て、
「おかず」として入れていたのである。
こんなに怖い弁当はない。
posted by 読書人ジョーカー at 08:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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