2006年03月23日

上忍と下忍の違い

司馬遼太郎が忍者について調べているときに、ある史料に上忍と下忍とい
うものが記されているのをみつけたという。史料によると、上忍は術にす
ぐれた有能な忍びで、下忍はそうではないもののことであったらしい。
ところが司馬は、「梟の城」で上忍と下忍を人間の階級分けとして使って
いる。
上忍を地侍(小領主)、下忍を小作人とし、忍者集団の中での身分とした
のである。
のちに自身でも、「少し独創的にすぎたか」と述懐している。

こうした社会構図を小説の中に持ち込むと、登場人物の行動のモチベーショ
ンが明確になってくるのかもしれない。
上忍である葛籠重蔵(映画版・中井貴一)は、時代がどう変わろうと、独
立した職能者である忍者としての道を生きる。
これに対し、下忍の風間五平〈上川隆也)は、忍びを捨て、武士として主君
に仕えることで、身分の上昇をはかろうとする。
利の対立なら和解もあるかもしれないが、身分社会の怨念がそこにくわわ
ると、ほふりあうしかなくなる。忍びとして秀吉を狙う重蔵と、守りの側
にたつ五平は術を駆使して激突する。

「竜馬がゆく」における、土佐の上士と郷士という身分上の対立も、物語
上、重要な構図のひとつになっていると思う。
「竜馬がゆく」では、のちに上士である板垣退助や後藤象二郎が、みずか
ら体制をひっくり返すために動きはじめ、維新の原動力となっていくこと
で、読者にある種のカタルシスをもたらす。

忍者など、職能に生きるひとたちは、職にのみ忠実で、誇り高い。
服部半蔵正就は、徳川の旗本として伊賀同心を率いたが、彼らの誇りを傷
つけたため、乱を起こされ、服部家は改易となっている。
忍びの集団とは、身につけた技能だけがものをいう、それぞれが自立した、
誇り高い集団ではなかったのかと思う。

posted by 読書人ジョーカー at 11:42 | Comment(0) | 歴史・司馬遼関連
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