一豊(上川隆也)が長浜城主となった。
ただし、一国ではなく一城のあるじだった。
死んだ吉兵衛も「ご功名をあげ国持ち大名になりなされ」 という言葉
を遺していた。
まだ先はながい。
史料によると、この時期は引っ越しであわただしい。
天正12年、近江長浜城主5千石
天正13年、若狭高浜城主2万石
同年8月、近江に戻ってふたたび長浜城主3万石となっている。
しかし、11月の天正大地震(長濱大地震)で城は半壊、よね姫圧死。
功名が辻第29回「家康恐るべし」。
人を食ったような猿の落雁が面白かった。
一豊、一氏、吉晴の三人で猿の落雁を食いながら、秀吉の天下取りの構
想をあれこれ予想していた。
落雁は、秀吉と家康の知恵比べが読めない一豊の甘さにひっかけられた。
家康は猿の落雁を見つめ、女に背中をもませながら次の一手を思案して
いたが、信雄が秀吉と和睦したという一報が入り、さすがに仰天した。
このあたりで家康は自身の天下取りを保留にし、いかに自分を高く売る
かということに、戦略を変化させたのかもしれない。
家康は無理をしない。秀次の裏をかいて一戦に勝利しても深追いはしな
かった。
ドラマをみて落雁が食いたくなったが、記憶をたぐるとこの干菓子には
あまりいい思い出がない。
お盆の時期、落雁は仏壇の中に数日おかれていた。
仏壇から降ろして生きた人間の口に入るころは、線香の匂いが十分に染
みついていた。
落雁は「仏さまの味」だったのである。