2006年07月24日

猿の落雁

アヤメ、菊などの花々を可愛らしくお干菓子に!〜花と彩〜(大)和三盆糖を使った高級和菓子

一豊(上川隆也)が長浜城主となった。
ただし、一国ではなく一城のあるじだった。
死んだ吉兵衛も「ご功名をあげ国持ち大名になりなされ」 という言葉
を遺していた。
まだ先はながい。

史料によると、この時期は引っ越しであわただしい。
天正12年、近江長浜城主5千石
天正13年、若狭高浜城主2万石
同年8月、近江に戻ってふたたび長浜城主3万石となっている。
しかし、11月の天正大地震(長濱大地震)で城は半壊、よね姫圧死。

功名が辻第29回「家康恐るべし」。
人を食ったような猿の落雁が面白かった。
一豊、一氏、吉晴の三人で猿の落雁を食いながら、秀吉の天下取りの構
想をあれこれ予想していた。
落雁は、秀吉と家康の知恵比べが読めない一豊の甘さにひっかけられた。

家康は猿の落雁を見つめ、女に背中をもませながら次の一手を思案して
いたが、信雄が秀吉と和睦したという一報が入り、さすがに仰天した。
このあたりで家康は自身の天下取りを保留にし、いかに自分を高く売る
かということに、戦略を変化させたのかもしれない。
家康は無理をしない。秀次の裏をかいて一戦に勝利しても深追いはしな
かった。

ドラマをみて落雁が食いたくなったが、記憶をたぐるとこの干菓子には
あまりいい思い出がない。
お盆の時期、落雁は仏壇の中に数日おかれていた。
仏壇から降ろして生きた人間の口に入るころは、線香の匂いが十分に染
みついていた。
落雁は「仏さまの味」だったのである。

posted by 読書人ジョーカー at 12:44 | Comment(0) | 「功名が辻」関連
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