「穴があったら入りたい」という慣用句があるように、恥ずかしくて穴
に逃げ込みたくなるようなこともあるが、逆に穴から這い上がりたいと
足掻くこともある。
「人を呪わば穴二つ」という諺はおそろしい。
他人を落とすための穴を掘っていて、ふと振り返ったら、自分が落とさ
れるための穴も掘られていた、というようなイメージの怖さがある。
伊藤人譽の「穴の底」(人譽幻談 幻の猫所収/龜鳴屋)は、誰がなん
のために掘ったのかわからない穴に落ちてしまった男の話である。
伊藤人譽は室生犀星の弟子で近年、読書通の間で話題になっている作家
らしい。人譽幻談は限定五百十四部ということで入手はしていないが、
図書館で借りてきたアンソロジーで「穴の底」を読むことができた。
男は山の登山道からそれた道で、ある穴をみつけた。好奇心を起こして
近づいたところ、その穴に落ちてしまった。どうということはない穴だ
と思ったが、あと一歩が届かない。あらゆることを試みるが、あと一手
が届かないのである。次第に人間一人ではどうやっても這い上がれない
穴であることに気づき始め、絶望が襲ってくる。
しまいにはドッペルゲンガーだか幽体離脱だかはしらないが、男は男の
自己を観察し始めるのである。
自己ではなく、他人の脳の中に入って世界を観察する奇妙な映画「マル
コビッチの穴」というのもあった。主人公はビルの7階と8階の間に存在
する、やたらに天上の低いオフィスで働き始めるが、そこで奇妙な穴を
発見する。穴はなぜか俳優ジョン・マルコヴィッチというスキンヘッド
の男の脳の中に繋がっているのである。
一方、安部公房「砂の女」は、穴に落ちた男が他人から観察される話で
ある。
男は昆虫採集の途中で、砂の穴に陥る。砂の中の砂の家には女がいた。
女は砂の家で暮らすことに慣れていた。男は逃れようとするが、次第に
女とともに砂の生活に入ってゆく。村人たちは砂穴の中の男女を地上の
世界から観察する。
人間、いつどこでどんな穴に出くわすかわからない。
誰がなんのために掘ったのかもわからない穴があちこちにある。
好奇心を起こして飛び込まなくても、ふと落ちてしまうかもしれない。
また、知らぬ間に他人を落とすための穴を自分が掘っているのかもしれ
ないのである。