2006年08月19日

穴の底

人間にとって穴というのは一体なんだろうかと思う。

「穴があったら入りたい」という慣用句があるように、恥ずかしくて穴
に逃げ込みたくなるようなこともあるが、逆に穴から這い上がりたいと
足掻くこともある。
「人を呪わば穴二つ」という諺はおそろしい。
他人を落とすための穴を掘っていて、ふと振り返ったら、自分が落とさ
れるための穴も掘られていた、というようなイメージの怖さがある。

伊藤人譽の「穴の底」(人譽幻談 幻の猫所収/龜鳴屋)は、誰がなん
のために掘ったのかわからない穴に落ちてしまった男の話である。
伊藤人譽は室生犀星の弟子で近年、読書通の間で話題になっている作家
らしい。人譽幻談は限定五百十四部ということで入手はしていないが、
図書館で借りてきたアンソロジーで「穴の底」を読むことができた。
男は山の登山道からそれた道で、ある穴をみつけた。好奇心を起こして
近づいたところ、その穴に落ちてしまった。どうということはない穴だ
と思ったが、あと一歩が届かない。あらゆることを試みるが、あと一手
が届かないのである。次第に人間一人ではどうやっても這い上がれない
穴であることに気づき始め、絶望が襲ってくる。
しまいにはドッペルゲンガーだか幽体離脱だかはしらないが、男は男の
自己を観察し始めるのである。

自己ではなく、他人の脳の中に入って世界を観察する奇妙な映画「マル
コビッチの穴」というのもあった。主人公はビルの7階と8階の間に存在
する、やたらに天上の低いオフィスで働き始めるが、そこで奇妙な穴を
発見する。穴はなぜか俳優ジョン・マルコヴィッチというスキンヘッド
の男の脳の中に繋がっているのである。

一方、安部公房「砂の女」は、穴に落ちた男が他人から観察される話で
ある。
男は昆虫採集の途中で、砂の穴に陥る。砂の中の砂の家には女がいた。
女は砂の家で暮らすことに慣れていた。男は逃れようとするが、次第に
女とともに砂の生活に入ってゆく。村人たちは砂穴の中の男女を地上の
世界から観察する。

人間、いつどこでどんな穴に出くわすかわからない。
誰がなんのために掘ったのかもわからない穴があちこちにある。
好奇心を起こして飛び込まなくても、ふと落ちてしまうかもしれない。

また、知らぬ間に他人を落とすための穴を自分が掘っているのかもしれ
ないのである。

posted by 読書人ジョーカー at 13:59 | Comment(0) | 小説
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: