千代(仲間由紀恵)が邸の門前で拾い上げた子の氏素性(うじすじょう)
は定かではないけど、強く賢い子に育った。
悲しいほど一豊(上川隆也)を慕っていた。
功名が辻、第38回「関白切腹」。
拾(ひろい)は自分が捨て子だったということを知っていたという。
拾われて、育ててもらったからこそ、父の期待に添う自分でありたいと
思ったのかもしれない。
父の命をよく聞き、強い武将になろうとしていた。
その態度がいじらしく、一豊と千代の深い涙をさそった。
捨て子に家督を継がせれば、のちの拾自身と山内家に災いをもたらすか
もしれない。
一豊と千代は拾を仏門に入れた。
拾は臨済宗妙心寺の南化国師の弟子となり、のちに大通院二世湘南宗化
となる。
一豊の死後、千代は土佐を出て京の妙心寺の近くに移り住む。
早く拾のそばで暮らしたかったのかもしれない。
拾によって妙心寺と山内家の関係が深まった。
大通院御廟屋には一豊と千代のふたつの卵塔(墓石)が並んでいる。
湘南宗化は、一豊夫婦とよね姫を終生供養したといわれる。
妙心寺大通院は山内家の菩提所となった。
拾は蛙を捕まえて侍女を怖がらせていたが、僕も子供の頃にあれをよくやった。
自分が強い男子であることを誇示したかったのだろう。