ドナルド・キーンは、コロンビア大学で教授・名誉教授として長く教鞭
をとっている日本文学者だが、1年の半分以上は東京の自宅にいるそう
である。
勲二等旭日重光賞、菊池寛賞などを受賞し、2002年には文化功労者に
選ばれている。文化勲章もありえるのかもしれない。外国人の文化勲章
受章者にはアポロ11号の飛行士たちがいるが、文化功労者顕彰や宮中伝
達式もない緊急特別の受賞だったようである。
ドナルド・キーンと司馬遼太郎はよく対談していた。
「世界のなかの日本―十六世紀まで遡って見る」司馬遼太郎/ドナルド・
キーン(中公文庫)は、1990年の京都での対談をまとめたものとある。
「はっきりしない言葉はフランス語ではない、といいますが、日本語の
場合は、はっきりしている言葉は日本語ではないといえます。」
(キーン・162ページ)
話は、日本語と外国語の違いから、江戸の鎖国、儒学と実学、神道論、
近松、漱石などの文学、近世の美術などへと自在に飛ぶが、もっとも面
白く感じたものは「懐かしさ」と題された司馬遼太郎のあとがきにあった。
ドナルド・キーンは世阿弥の謡曲「松風」を、文学として最高のものと
信じ、読むたびに感激するという。コロンビア大学の学生たちとともに
読んだときも、感激しない学生はいなかったという。
しかし、実際の能舞台を観て失望したらしい。
「じつは読み込むことによってできあがっていたキーンさんのイメージ
の方が、現実の能舞台よりも華麗で幽玄だったに違いない」と司馬はいう。
「もっともそのイメージのなかでの音楽は、小鼓、大鼓、笛ではなく、
ドビッシーのような音楽だったそうだが。」
内田百聞の短篇をもとに幻想譚を描いた鈴木清順監督の「ツィゴイネル
ワイゼン」を思い出した。
和の陰影の中に、サラサーテの音楽がすすり泣く映画である。
「松風」は、貴人の行平を一途に想い続ける海女の、哀しくおろかな恋
を描く夢幻能。
月はひとつ 影はふたつ 満つ潮の
夜の車に月を載せて 憂しとも思はぬ 潮路かなや
ドビュッシーの「松風」があるとすれば、さらなる夢幻界へと誘われるの
かもしれない。