2006年03月22日

坊主が憎いのではなく

中世の比叡山は、たんなる宗教の本山ではなかった。
比叡山延暦寺は、近江をはじめ、尾張、美濃、三河、山城、筑前など、全国
に広大な荘園領を持っていたし、本山は要塞化され、僧兵によって固められ
ていた。おまけに政治力もあった。

さらに近江は、延暦寺、園城寺などの荘園市の中心ともいえた。商人は塩座・
紙座などの座という既成組織に入らなければ商売ができなかった。
楽市楽座をすすめる信長とは、経済政策でも対立していた。
また信長の「天下布武」の印には、じぶんが天下を獲るという宣言だけでは
なく、武士による政治支配という意味も込められていたらしい。
そのためには、中世という古きバケモノどもをすべて退治しなければならな
かった。

この点、延暦寺の僧侶たちは、気づいていたのかもしれない。
永遠に相容れない間柄であることに。
いちどは信長から和議の申し入れがあったが、結局は激突することになる。

延暦寺は政治的存在だったけど、「仏」というぶ厚い精神の要塞に守られ、
手出しができなかった。信長の視点からみると、たまったものではなかった
のだろう。
信長の比叡山焼き討ちのインパクトは、都の朝廷、貴族、全国の戦国大名に
響きわたり、彼らを震え上がらせたが、同時にほふりあうしかない敵もつくっ
た。最後の敵となる光秀は、中世を背負った古典的教養人だったという。

ところで、信長の「延暦寺焼き討ち」について、滋賀県教育委員会による発
掘調査では、充分な科学的証拠が出なかったらしい。ある種の史料にあるよ
うな、大規模なものではなかったのだろう。信長が世間に与えたインパクト
がよほど大きく、人に伝わりながら、巨大な噂へと成長していったのかもし
れない。
posted by 読書人ジョーカー at 12:16| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

将軍とカレーライス

以前、東京日野の小さな図書館で、徳川慶喜が撮ったという古い写真集を
目にしたことがある。
維新後の静岡の風景や身近な人たちのポートレート、東京の宮家や華族家
の写真などが載っていたと記憶している。
最後の将軍は、あたらしもの好きで、自転車などを乗り回し、珈琲やパン
食も好んだらしい。

慶喜が軍の施設を見学したときに、飯盒というものを初めて見て興味をし
めしたという。
飯盒の原型はドイツから伝わったといわれる。明治陸軍は、当時ヨーロッ
パ最強といわれたドイツ陸軍を模範としたから、ちいさな道具まで便利な
ものは採り入れたのだろう。
もともとは食器プラスアルファの道具で、いまのように炊さんをするもの
ではなかった。
慶喜は、飯盒でごはんを炊こうと最初に思いついた人なのかもしれない。
案内の将校に頼み、銀で飯盒をつくってもらい愛用したという。

最後の将軍―徳川慶喜

飯盒は、兵隊が腰にぶらさげておくと便利であるらしい。
いまの自衛隊も装備品として受け継いでいる。
中に食料を詰め込んでおいて、食べるときは上蓋や中蓋を食器として使う。
飯盒ひとつで、お湯も沸かせて、煮炊きもできる。水を汲んだり溜めてお
いたり、いざというときは穴を掘ったりもできる。

そとで作って食べるカレーライスは格別にうまい。
ごはんは、飯盒で炊いたほうが、もっとうまい。
飯盒を教えたのはドイツ人だが、肉や野菜を煮込んで作るシチュー風のカレー
は、イギリス人が伝えたらしい。
いまやどちらも、大切な日本文化のひとつだといえる。
posted by 読書人ジョーカー at 06:00| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

異名をもつ男とは?

jk.gif一豊(上川隆也)が「ぼろぼろ伊右衛門」の異名をもつなら、おなじ
秀吉配下の伊藤七蔵政国は「編笠七蔵」という異名をとっていた。

伊藤七蔵政国は、司馬遼太郎の短篇「女は遊べ物語」(一夜官女所収・中
央公論社)の主人公である。
この話もNHKでドラマ化され、七蔵は西田敏之が演じた。
妻の小梅(坂口良子)が浪費家で遊び好きのため、七蔵は戦場で働き詰め、
功名を上げなければ生活が成り立たなかった。
一乗谷の合戦のおり、七蔵は鉄砲で兜を撃ち飛ばされた。しかし怯まず、
近くにあった破れ編笠をかぶり、敵に突進していったことから、主君の信
長にこの異名をもらった。

異名には、ときに姿かたち、性格、行動、生き方そのものまで含まれてい
るからおもしろい。
評論家の谷沢永一は、「人の世は評判の市である」といい「人間界の勝利
者は高い評判を得ることに成功したものである」とする(人間通・新潮選書)。

人間通

異名をとることで、その人の評判がひろがり、名が浸透しやすくなる。
異名をもらうためには、個性的であり、一所懸命でなければならない。

小さい頃、あだ名を付けられることで「学校の有名人」になった人もいるはず。
posted by 読書人ジョーカー at 09:44| Comment(0) | 歴史・司馬遼関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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