クレジットカードの裏面に書く署名だが、多くの日本人が、試験の答
案用紙に氏名を記入するように、楷書でしっかりと書いているのではない
かと思う。
これに対し、欧米人のサインは何が書いてあるのか読めない。アルファベッ
トが読めない。
もっともそれは、アルファベットではないのかもしれないのだが。
署名と記名は異なる。正式にはそうなっているようだ。
署名とは、本人がじぶんで氏名を書くこと。記名とは、本人手書き以外の
方法で氏名を記載すること。手書き以外というと、たとえばPCのキーを打っ
て出力したもの、他人が代筆したものなどがある。
クレジットカードの裏面には「ご署名」とあるから、本人がじぶんで書か
なければならない。
クレジットカードで決済するとき、本来、加盟店の店員は、客にその場で
サインをしてもらい、そのサインとカードに記載されているものが、間違
いなく同じものであることを確認しなければならない。つまり本人認証の
ための照合である。いまは書類をつくらず、CATを通してオンラインで処
理するため省かれることが多い。
署名は英語でsignature(スィグナチャー)である。サインは誤用で、和
製英語であるといわれる。辞書にそう書いてある。sign(サイン)には、身
振り、手まねや、符号、記号、標識などの意味がある。
signatureは、とくに書類などに人間が記載するsignのこと、すなわち本
人が書いたものであることを示す記号、符号ということでいいのではない
かとも思う。というのも、古くは文字を知らないひとが多かったからだ。
ヨーロッパの古い契約書などにも、絵のような、記号のようなサインをし
るしてあるものがある。
たとえばOO7(ダブルオーセブン)も、もともとはサインだったらしい。
この物語は、女王陛下に仕える千里眼能力者として、優秀な「目玉」とい
う称号を与えられた男をモデルにつくられたという。男は、目玉を表す、
ふたつのoを並べて、おのれのサインとしたという。
こうなると、サインは単に名を書くことではなく、本人のアイデンティティ
を表現するものということになる。本人認証のための、すなわちsignであ
るから、それは文字に限らなくてもいいのである。だから、欧米人のサイ
ンは読めないことが多い。読めないし、他人には書けない。書けないよう
なものにしなければならない。
じぶんだけのカタチを創造し、いつでもサッと書けるように練習しておく。
文字をデフォルメしてデザイン化したり、記号を加えたりして模索しなが
ら、大人になるまえに、サインのトレーニングを積む。かれらにとって、
サインは「実印」とおなじものだからだ。
筆圧や癖などは、ひとそれぞれに違う。速く書けば書くほど本性としての
個が出る。欧米人は、じぶんのサインを知りつくし、さらに他人のサイン
を鑑定する能力を磨いているのだろう。大統領だろうが、市井のひとであ
ろうが、公式の本人認証ために必要なのだから。
サイン社会では、他人には絶対に書けないような「ミミズののたくったよ
うな字」であるとか、悪筆のひとのほうがいいのかもしれない。
あまりの悪筆であれば、練習の必要もないだろう。悪筆は個性でもある。
逆に字のうまいひとは、想像力にかけるともいわれる。字は模倣の産物だ
からだ。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によると、維新の原動力となった吉田松陰の
門下生たちは悪筆ぞろいだったという。
芥川賞作家でもある石原慎太郎東京都知事は、悪筆として編集者のあいだ
では有名らしい。
また、ベートーベンは相当な悪筆で、ナポレオンもかなりの悪筆であり、
マルクスはとんでもない悪筆であって、アインシュタインにいたっては字
をおぼえるのにすら難渋したという。