徳川十五代将軍慶喜というひとほど、世の期待をうけつづけてその前半生
を生きた人物は類がまれであろう。そのことが、かれの主題をなした。」
-「最後の将軍」司馬遼太郎より-
NHK大河ドラマ「功名が辻」第7回放送分で三谷幸喜演じる足利義昭
が将軍に宣下された。
最後の将軍となった足利義昭と徳川慶喜は、ある血筋にうまれたために、
歴史によってある役割を背負わされ、命を運ばれたひとたちなのだろう。
そのために、人生の切所での行動が後世に知られることになった。
滅びゆく幕府の幕(まく)を、どうおろすか。
かれらの役目は、この一点にあったにちがいない。歴史の回転力にはさか
らえない。
足利義昭は、12代将軍義晴の次男としてうまれたため、将軍にはなれずに
出家していた。が、兄の将軍義輝が殺されたため、まわりに担がれて還俗
した。将軍になるために、ちからのあるものを頼って放浪し、やがて信長
にひろわれ、念願の将軍になった。筋目の権威だけはあるが、ほとんど一
兵ももっていない将軍だった。信長がいうことを聞いてくれないと、八方
に信長討伐の令を発する。じぶんの立場がわからず、時代の空気が読めな
いひととして、いつも悲惨な描かれかたをする。
最後は、信長によって、野にほうりだされた。
いっぽうの徳川慶喜は、将軍になることを拒みつづけたひとだった。
出身は尊皇思想の源流であった水戸徳川家で、母は有栖川宮家の王女だっ
た。
期待され、請われ、無理矢理に説き伏せられて将軍になったということを
世間に印象づけることにこだわった。
そして最後の将軍であることを自覚し、そのように動いた。みずからの行
動が、後世に伝えられることを意識しながら生きた。
最後は、「政権という荷物を御所のなかにほうり投げた」。
征夷大将軍とは令外の官(りょうげのかん)で、もともとは東のほうの夷
を討ち、中央政権にしたがわせるための役目をもつ職だった。討ったあと
もしばらく駐留し、その地を治める総督のような立場になる。
日本に進駐してきて、日本を変えてしまった連合軍のマッカーサー元帥の
ようなものかもしれない。初代坂上田村麻呂が、東北の地で農業指導をし
たと思われる水田跡なども残っているという。
征夷大将軍、源慶喜。従一位、内大臣、源氏長者、右近衛大将、右馬寮御監、
淳和奨学両院別当。維新後は従一位公爵、贈正一位。
重々しい官位をたくさんつけながらすごした人生だった。
じぶんの人生が、後世に知られることを意識しながら生きるとは、
どういう感覚なのだろうか。
●「最後の将軍-徳川慶喜」司馬遼太郎