功名が辻、タイトルの意味について→1月11日記事へ
【功名】手柄を立て名を上げること。また、そのような手柄。
【辻】道が十字形に交差したところ。十字路。みちばた。街頭。
今年も三分の一が過ぎようとしている。
大河ドラマ「功名が辻」も、放送14回を数えた。
一豊(上川隆也)は、まだ400石の身上で、功名の上り坂にある。
これから「功名が辻」の意味と主題が深まってくるのではないかと思う。
人の一生に主題などあるのだろうか。
現実に動いている人生は、ややこしいことを考えている暇などない。
泣きながら日々を生きていくだけで精一杯である。
市井に生きた人は、後世に語られることはない。
お祖父ちゃんは大酒飲みだったとか、お祖母ちゃんは働き者だったとか。
せいぜい、そのくらいだ。
だが、大きな功名をたてた人間は、のちの世にまで語り継がれる。
そして、その人がどう生きたかについて、後世のひとが評価する。
人それぞれの評価のひとつが、ドラマや小説のテーマとなったりする。
一豊の生きた場所は、功名を強く求める人間が集まった「時代の辻」であっ
て、その中心核に信長や秀吉がいた。
信長や秀吉には、どんな世を創るかというビジョンがあったが、一豊や堀
尾吉晴(生瀬勝久)、中村一氏(田村淳)は、自分の器量のなかで、ひた
すら功名を求めて精一杯生き抜くだけだ。
千代(仲間由紀恵)は、いくさを嫌い、いくさのない世を望むと言いなが
ら、一方では一豊を一国一城のあるじにするために、さまざまな策を授け
たりしている。
信長、秀吉、光秀など、あふれるような才能とエネルギーに満ちた人たち
は、派手に咲いて、パッと散った。「難波のことは夢のまた夢」だった。
それほどの才覚がなくても、自分をよく知り、人に慕われ、ひたすら真面
目で忠実に生きた一豊は土佐二十四万石の太守にまで上り詰め、子孫は江
戸期を通じてずっと大名であり、戦前までは華族だった。
家康は幼い頃今川の人質となり、信長に妻子を葬られ、いくさにつぐいく
さの人生を送ったが、最後に「元和偃武」で自ら武を封印し、三百年の太
平の世を創った。
「功名が辻」に集まった人たち、それぞれの性格や生き方を通して、また
それぞれの一生の主題がみえてくるだろうと想う。
posted by 読書人ジョーカー at 13:39|
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「功名が辻」の意味
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