2006年07月07日

岡本太郎「今日の芸術」

今日の芸術―時代を創造するものは誰か

縄文中期ごろに創られた火焔土器とよばれるものがある。
立ちのぼる炎を象った、うねりのある装飾形状で、この土器が夜、ほんも
のの炎によって底から炙られる姿を想像すると、あまりにも妖しい。
生命の炎立つ、呪術的な妖しさを想わせる。
火焔土器のすぐれた芸術性を「発見」したのは岡本太郎である。

岡本太郎は、日本風のしぶみや枯淡、あるいは匠の名人芸などには興味を
しめさない。
芸術は模倣するものでも、習うものでもなく、美の徒弟制度などは論外で
ある。日本美術界の権威主義や美術教育、さらには日本文化そのもののあ
りかたまでを激しく叩く。
「芸術はつねに新しい」「美術史はくり返さない」といい、瞬間瞬間に燃
え上がるようなエネルギーを好むのである。

『今日の芸術』は1954年に光文社から刊行、1999年に同じ光文社から復
刊された。岡本太郎は本書のなかで、

「今日の芸術は、うまくあってはいけない」
「きれいであってはならない」
「ここちよくあってはならない」

と宣言する。
そして猛烈な不協和音を発するピカソの「アビニョンの娘たち」は最高に
いやったらしいといい、鬼気迫るような極彩色の古代エジプト美術は4千年
の時を経ていまなおいやったらしいという。
しかし、この魂をひっくり返すようないやったらしさこそ新しさであり、
芸術にとって重要なものであるらしい。

またセザンヌは「ヘッポコ絵描き」であり、ゴッホやゴーギャン、ルソー
などは「素人」だからこそ偉大だという。
「誰でも描けるし、誰もが描かなければならない」のが今日の芸術であっ
て、「部品となった現代人」こそ自己回復のために描けという。
そして「人間的にも社会的にも強く正しく、はるかに明朗な自由」をつか
みとれという。

岡本太郎の作品に「坐ることを拒否する椅子」というのがある。
坐ると尻が痛そうで、しかも原色に彩られた表面には歯をむき出しにした
顔などが描かれている。
椅子は本来坐るためにあるものだが「坐ることを拒否する椅子」があって
もいいじゃないかというのである。
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」
岡本太郎のこういう発想が好きである。
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2006年05月12日

一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史

一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史

たとえば稗田阿礼(ひえだのあれ)という人物はいまいちよくわからない。
古事記の編纂者とされるが、実在を疑うひともいる。
見たものはすべて口ずさみ、聞いたものはすべて心にしるしたという。
サヴァン症候群か、密教の求聞持聡明法の修得者なみの人間離れした記憶
力の持ち主だったらしい。

口承によって民族の歴史を伝える、かたりべとか口承者と呼ばれる一族が
いる。かれらは幼い頃から歴史を聞かされながら育つ。親からなんどもな
んども同じ話を聞かされる。歴史が頭に刻まれ、諳んじることができるま
で聞かされる。そしてまた、そのようにして子に伝えていく。
「一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史」ポーラ・アンダーウッド/
訳・星川淳(翔泳社)は、イロコイ族の血を受け継ぐ女性が、一族に伝わ
る口承の歴史を文字として初めて記したものである。

途方もない太古の話までが記憶に刻まれている。
かつて一族はアフリカで樹上生活をしていたらしい。やがて木から降り、
地中海を渡ってアジアへと移動してきたという。
約一万年前、イロコイ族は「大いなる中つ地」という場所にいた。それが
正確にどこであるのかはわからないが、日本という説もあるようだ。
ある日、石の雨が降るような天変地異が起こる。イロコイ族はあちこちを
彷徨ったのち、新しい安住の地を求めて「海の渡り道(ベーリング海峡)」
を渡ることを決意する。
一万年前はウルム氷期にあたり、海の水位がいまより低かった。ユーラシ
ア大陸と北米大陸を分かつベーリング海峡は、海峡ではなく陸狭だった。
歩いて渡れた。
しかし、イロコイ族が渡る頃は、すでに海の中に沈みつつあったようだ。
ここを渡ろうとして、海に飲み込まれていった別の部族もいたという。

ベーリング海峡は、長さ約90kmある。
イロコイ族は波にさらわれないよう、それぞれの体を綱でつないで渡った。
途中、陸地が消え大波が押し寄せてくるところもあった。死を呼ぶ断崖絶
壁もあった。綱で吊り橋を作り、力あるものは老人、女、子供、病人など
を背負いながら渡ったという。

「一人では不可能なことも、大勢なら可能になるかもしれない」
途方もない民族の歴史のなかに、きらめくような知恵が込められた話。
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2006年04月14日

謎解きフェルメール

謎解き フェルメール

フェルメールの作品数は少ない。
真作とされているものは、30数点しかない。
真贋について、研究者のあいだでも、まだ議論の定まらないものが4点ほど
あるという。

フェルメールは古典的な物語画家として出発し、のちに、17世紀のオラン
ダ市民を描く風俗画家へと転向している。
同じフェルメール作品でも、物語画と風俗画では大きな違いがある。
このことが、鑑定を難しいものにしているという。
「フェルメールの絵」には、真にフェルメールの手になる真作と、同時代
の画家が描いた非真作、そして意図的に作られた贋作があるのである。

稀代の贋作者といわれたハン・ファン・メーヘレンは、『キリストと悔恨
の女』という「フェルメールの絵」を制作し、ナチス・ドイツの国家元帥
で、美術蒐集家でもあったゲーリングを見事にあざむいた。
メーヘレンは、のちに国家の宝を国外に売り払ったとして起訴された。
彼は、「自分が描いた」と告白したが、容易には信じてもらえなかった。
そのため、法廷で実際に絵を描いてみせたという。

『謎解きフェルメール』小林頼子・朽木ゆり子著(新潮社)ではフェルメー
ルの生涯をたどりながら、32点の作品をカラーで紹介している。それぞれ
の絵が描かれた背景、絵に込められた思いや寓意なども綴る。

フェルメール独特の、光と構図の秘密とされる「カメラ・オブスキュラ」
についての解説も面白い。「カメラ・オブスキュラ」とは初期の写真機で、
フェルメールは、レンズを通して見た光景をもとに絵を描いたのではない
かといわれている。本書では、CGによる構図の分析を行いながら、そのカ
メラのような道具を本当に使ったのか否かを詳細に検証している。

贋作者メーヘレンの絵を、カラーで8点も載せているのがよかった。
それらは、フェルメールに似せた単なる贋作ではないと感じた。
ひとりの作家の手による、独立した作品としての質と世界観があった。
そうでなければ、オランダ美術史界の重鎮アブラハム・プレディウスや、
ゲーリングらをあざむくことはできなかったと思う。
ただ、メーヘレンの絵には、どこか暗く冷たく、なにやら恐ろしい雰囲気
が漂っているような気もする。
「稀代の贋作」は、アムステルダム国立美術館などに所蔵されている。
posted by 読書人ジョーカー at 17:16| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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