弁当は旨い。
自家製の腰弁当でも、駅弁でも、冷えためしと冷えたおかずが旨いわけ
であって、ほかほかな弁当などは本来邪道ではないかと思うが、昔流行っ
た保温ジャー付きの弁当箱がいまも市販されているところをみると、温
かい弁当が好きな人もいるのだろう。好みはいろいろである。
そういえば僕が通った幼稚園では真冬など、朝、家から持ってきたみん
なの弁当箱を大きな保温器に入れていた。
弁当についての遙かなる遠い記憶である。
弁当は、旧字体では辨當、台湾あたりでは便當と書くらしい。
野良仕事や旅路の携帯食としての握り飯や干飯(ほしいい)などは、日
本人が米を炊くようになってすぐに生まれたと思うが、弁当箱にいろい
ろとおかずを詰めて、いわゆる弁当として食べるようになったのは信長
の頃からのようなのである。
たとえば城で飯をふるまう時、弁当にして配れば、いつでも、どこでで
も自由に食べられるし、給仕の手間も省けて合理的である。名のある武
将たちには、漆塗りの器にでも詰めた、料亭の仕出し弁当のようなもの
を配ればいい。何ごとにも合理性を好んだ信長らしい「発明」といえる。
信長を真似た秀吉が、のちに醍醐の花見や茶の湯の会などで豪勢な弁当
をふるまったとすれば、そうした楽しい風習が、大名家や庶民の間にも
広がっていったのもうなずける。
いまネット上には、「お弁当ブログ」なるものがたくさんあって、旨そ
うな手作り弁当がいろいろと見られる。中には似顔絵弁当など、旨さよ
りもインパクトを狙っているようなものや、工夫を懲らしすぎて悪ノリ
しているとしか思えないようなものまである。
しかし、手製の弁当が広がるのはいいことで、コンビニ弁当やチェーン
店の弁当に愛はなく、ふたを開ける楽しみもない。
あるのはマーケティングと無用の添加物である。
さて、実在した話ではない(と思う)が、この世でもっとも怖いと感じ
た弁当がふたつある。
ひとつは筒井康隆の人間弁当である。
人喰人種に捕まった関西弁の男が、縛られて連れ回される。人喰人種の
腹が減った時に喰われるに違いない。男が生きながらにして弁当にされ
る話である。「人喰人種」(「最後の伝令」新潮文庫所収)
もうひとつは古谷三敏の「ダメおやじ」(小学館)に出てくる金魚弁当。
オニババことダメおやじの妻は、ダメおやじへの嫌がらせとして、会社
に行くときに持たせた弁当の中に、おやじが可愛がっていた金魚を煮て、
「おかず」として入れていたのである。
こんなに怖い弁当はない。