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<title>読書人ジョーカー@混沌の本棚</title>
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<description>どんな本でもおもしろいと思えばおもしろい。意味があると思って読めば、それなりの意味が湧き出してくる。あなたが読む本は壮大なジョークかもしれないし、偉大な真理の泉かもしれない。</description>
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/29384522.html">
<title>三途川</title>
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<description>女は初めて契りを交わした男に背負われて三途の川を渡る、という言い伝えがあるらしい。此岸と彼岸を分ける三途川の賽の河原まで、先に逝った男があの世から迎えにきてくれるという。功名が辻、最終回「永遠の夫婦」最後のシーンで、一豊（上川隆也）が千代（仲間由紀恵）を迎えに来た。千代は一豊に背負われて砂浜を往った。長く続いた戦国の最後の時代、働きずくめで苦労の多かった夫婦だが、一年間のドラマの中に、密度の濃い人生を感じた。千代の場合、初めての男と、ずっと夫婦だった男と、そして一番好きな男が...</description>
<dc:subject>「功名が辻」関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-12-11T02:40:04+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
女は初めて契りを交わした男に背負われて三途の川を渡る、という言い<br />伝えがあるらしい。<br />此岸と彼岸を分ける三途川の賽の河原まで、先に逝った男があの世から<br />迎えにきてくれるという。<br /><br />功名が辻、最終回「永遠の夫婦」<br />最後のシーンで、一豊（上川隆也）が千代（仲間由紀恵）を迎えに来た。<br />千代は一豊に背負われて砂浜を往った。<br />長く続いた戦国の最後の時代、働きずくめで苦労の多かった夫婦だが、<br />一年間のドラマの中に、密度の濃い人生を感じた。<br /><br />千代の場合、初めての男と、ずっと夫婦だった男と、そして一番好きな<br />男が、すべて同じ男ということになる。三途の川まで迎えに来て、あの<br />世まで連れ添うというイメージは最終回の「永遠の夫婦」というタイト<br />ルに落ちてくるのかもしれない。<br /><br />三途の川の言い伝えは、世界最古の小説ともいわれる「源氏物語」の中<br />にも滲んでいる。<br /><br />「亡き人を慕ふ心にまかせても影見ぬ三つの瀬にや惑はむ」　<br />（朝顔の巻　藤壷を供養す）<br /><br />激しく恋した藤壷に、あの世で会うことも叶わないという源氏の悲嘆。<br /><br />「おりたちて汲みはみねども渡り川 人の瀬とはた契らざりしを思ひのほかなりや」<br />（真木柱の巻　玉鬘 ( たまかずら ) の物語）<br /><br />渡り川とは三途の川の別名。あなたとは深い関係にはなれなかったが、<br />他の男に背負われることになるとは思ってもみなかったと言う。<br />これに対し女は、<br /><br />「みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙の澪の泡と消えなむ」<br /><br />三途の川など渡る前に、泡のように消えてしまいたいと言うのである。<br /><br />此岸では叶わなかった恋を彼岸で実らせたいという気持ちは誰にもある<br />のかもしれないが、ずっと夫婦だった男女が、さらに彼岸まで寄り添う<br />のはどうなのか。人それぞれとしか言いようがない。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/27874883.html">
<title>夜の種族</title>
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<description>梟は顔が大きい。パラボラアンテナのように指向性の高い大きな顔盤で、遠くの微かな音も集音するらしい。闇に神経を研ぎ澄ませている。首は「エクソシスト」の少女リーガンのように真後ろまで自在に回る。両耳は顔盤の後ろにあって、その位置は左右非対称である。このため、音の到達時間が微妙にずれる。そのずれを瞬時に計算し、獲物までの距離を割り出すという。「梟が ふはりと闇を 動かしぬ 」 米澤吾亦赤獲物が少しでも動いたら、ふわりと音もなく飛び立つ。独特の風切り羽を持つため、ほとんど無音で飛行で...</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-11-20T16:15:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://d-joker.up.seesaa.net/image/f.jpg" alt="f.jpg" width="79" height="102" border="0" /><br /><br /><br />梟は顔が大きい。<br />パラボラアンテナのように指向性の高い大きな顔盤で、遠くの微かな音<br />も集音するらしい。<br />闇に神経を研ぎ澄ませている。<br />首は「エクソシスト」の少女リーガンのように真後ろまで自在に回る。<br />両耳は顔盤の後ろにあって、その位置は左右非対称である。<br />このため、音の到達時間が微妙にずれる。<br />そのずれを瞬時に計算し、獲物までの距離を割り出すという。<br /><br />「梟が ふはりと闇を 動かしぬ 」　米澤吾亦赤<br /><br />獲物が少しでも動いたら、ふわりと音もなく飛び立つ。<br />独特の風切り羽を持つため、ほとんど無音で飛行できるという。<br />他者の音は逃さないが、おのれ自身は音を立てない。<br />俊敏な野鼠たちも、気づいたときは餌食にされている。<br /><br />梟の体には知恵が詰まっている。<br />ギリシャ神話では、知恵を司る女神アテナに従う聖鳥となっている。<br />森の賢者ともいわれ、図書館や学校、出版社の紋章にもなることも多い。<br /><br />「ふくらうはふくらうで わたしはわたしで ねむれない」　種田山頭火<br /><br />梟は夜の種族である。夜目が利く。<br />夜の種族には、詩人、芸術家、哲学者などもいる。<br />夜は妄想が湧いてくるし、深い思索も行われる。<br />感覚を研ぎ澄ませて、闇の中から創造する。<br />歴史は夜つくられるともいう。<br />陰謀も犯罪も夜が舞台である。<br />冴えた頭に梟の啼き声が響いて、濃い妄想や、鋭い知恵を呼び覚ますの<br />かもしれない。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/27387060.html">
<title>柿食って想うこと</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/27387060.html</link>
<description>久しぶりに柿を食ったが、けっこう堅いんだなあと感じた。最近は、堅いものをあまり食っていないような気がする。というか、堅い食い物が周囲にほとんどない。知らないうちに、柔らかいものばかりを食うようになっていたのかもしれない。いまどきの子供たちも、堅いものは食べないそうである。僕にとって、柿が堅いなどという意識はなかった。子供の頃に食っていた、しょうゆ焼き煎餅などは鬼のように堅かった記憶があるし、手でも容易には割れなかった。ごく稀だったと思うが、給食に乾パンなども出た。駄菓子屋に一...</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-11-13T17:09:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
久しぶりに柿を食ったが、けっこう堅いんだなあと感じた。<br />最近は、堅いものをあまり食っていないような気がする。<br />というか、堅い食い物が周囲にほとんどない。<br />知らないうちに、柔らかいものばかりを食うようになっていたのかもし<br />れない。<br />いまどきの子供たちも、堅いものは食べないそうである。<br /><br />僕にとって、柿が堅いなどという意識はなかった。<br />子供の頃に食っていた、しょうゆ焼き煎餅などは鬼のように堅かった記<br />憶があるし、手でも容易には割れなかった。ごく稀だったと思うが、給<br />食に乾パンなども出た。駄菓子屋に一個5円で買えるマウスボールぐら<br />いの大きな飴もあった。飴は舐めるものだというが、僕はすぐに噛んで<br />バリバリ食ってしまっていた。<br />柿などは、堅い食い物ではなかったのである。<br /><br />堅いものを好まない、顎の細い子供がふえているらしい。<br />ジャニーズ顔とかに見られる、若者の顎はどんどん細くなっているよう<br />な気がする。<br />ダーウィンによると獲得形質は遺伝しないというが、人間はやがてグレ<br />イとかいう不気味な宇宙人のような顔になるのかもしれない。<br />あれは、進化したのか退化したのか知らないが、未来の人間のありふれ<br />た顔なのかもしれない。<br /><br />噛むことと、視力には関係性があるという。<br />噛むことは眼の水晶体を司る筋肉にもいい影響を与えるらしい。<br />よく噛む人は視力も良いという。<br />反対に、視力の悪い人は、あまり噛まない傾向にあるといわれる。<br />書店に行くと、視力回復の本がたくさん並んでいる。<br />レーシックとかいう手術で、一気に回復してしまうことを勧めているも<br />のもある。<br />しかし、視力回復を考えるのなら、まず噛むことから始めるのがいいの<br />かもしれない。<br /><br />僕が子供の頃、まだ若かった叔父が、ビール瓶の栓を、わざと歯で抜い<br />ていたのを思い出す。<br />肴は噛み続けるほどに味の出る、するめが多かったように記憶している。<br />馬鹿馬鹿しい力技だが、丈夫な歯と逞しい顎は、強い生命力のあかしな<br />のかもしれない。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/26686433.html">
<title>世にも怖い弁当</title>
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<description>弁当は旨い。自家製の腰弁当でも、駅弁でも、冷えためしと冷えたおかずが旨いわけであって、ほかほかな弁当などは本来邪道ではないかと思うが、昔流行った保温ジャー付きの弁当箱がいまも市販されているところをみると、温かい弁当が好きな人もいるのだろう。好みはいろいろである。そういえば僕が通った幼稚園では真冬など、朝、家から持ってきたみんなの弁当箱を大きな保温器に入れていた。弁当についての遙かなる遠い記憶である。弁当は、旧字体では辨當、台湾あたりでは便當と書くらしい。野良仕事や旅路の携帯食...</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-11-03T08:06:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/03859135.87a3b580/?url=http://item.rakuten.co.jp/sagami/29077/" target="_blank"><img src="http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/sagami/cabinet/290/29077.jpg?_ex=128x128" border=0 alt="小判コンパクト弁当友禅楽園紫　お弁当箱"></a><br /><br />弁当は旨い。<br />自家製の腰弁当でも、駅弁でも、冷えためしと冷えたおかずが旨いわけ<br />であって、ほかほかな弁当などは本来邪道ではないかと思うが、昔流行っ<br />た保温ジャー付きの弁当箱がいまも市販されているところをみると、温<br />かい弁当が好きな人もいるのだろう。好みはいろいろである。<br />そういえば僕が通った幼稚園では真冬など、朝、家から持ってきたみん<br />なの弁当箱を大きな保温器に入れていた。<br />弁当についての遙かなる遠い記憶である。<br /><br />弁当は、旧字体では辨當、台湾あたりでは便當と書くらしい。<br />野良仕事や旅路の携帯食としての握り飯や干飯（ほしいい）などは、日<br />本人が米を炊くようになってすぐに生まれたと思うが、弁当箱にいろい<br />ろとおかずを詰めて、いわゆる弁当として食べるようになったのは信長<br />の頃からのようなのである。<br /><br />たとえば城で飯をふるまう時、弁当にして配れば、いつでも、どこでで<br />も自由に食べられるし、給仕の手間も省けて合理的である。名のある武<br />将たちには、漆塗りの器にでも詰めた、料亭の仕出し弁当のようなもの<br />を配ればいい。何ごとにも合理性を好んだ信長らしい「発明」といえる。<br />信長を真似た秀吉が、のちに醍醐の花見や茶の湯の会などで豪勢な弁当<br />をふるまったとすれば、そうした楽しい風習が、大名家や庶民の間にも<br />広がっていったのもうなずける。<br /><br />いまネット上には、「お弁当ブログ」なるものがたくさんあって、旨そ<br />うな手作り弁当がいろいろと見られる。中には似顔絵弁当など、旨さよ<br />りもインパクトを狙っているようなものや、工夫を懲らしすぎて悪ノリ<br />しているとしか思えないようなものまである。<br />しかし、手製の弁当が広がるのはいいことで、コンビニ弁当やチェーン<br />店の弁当に愛はなく、ふたを開ける楽しみもない。<br />あるのはマーケティングと無用の添加物である。<br /><br />さて、実在した話ではない（と思う）が、この世でもっとも怖いと感じ<br />た弁当がふたつある。<br />ひとつは筒井康隆の人間弁当である。<br />人喰人種に捕まった関西弁の男が、縛られて連れ回される。人喰人種の<br />腹が減った時に喰われるに違いない。男が生きながらにして弁当にされ<br />る話である。「人喰人種」（「最後の伝令」新潮文庫所収）<br /><br />もうひとつは古谷三敏の「ダメおやじ」（小学館）に出てくる金魚弁当。<br />オニババことダメおやじの妻は、ダメおやじへの嫌がらせとして、会社<br />に行くときに持たせた弁当の中に、おやじが可愛がっていた金魚を煮て、<br />「おかず」として入れていたのである。<br />こんなに怖い弁当はない。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/26012814.html">
<title>「算学武士道」</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/26012814.html</link>
<description>日本の算学、つまり和算は中国から伝わったものが独自に発展し、江戸の頃には微分、積分学にまで到達していたらしい。微積分の概念の発見者はライプニッツ、あるいはニュートンとされるが、和算関流の創始者である関孝和も、この二人とほぼ同時代の人物である。関孝和はライプニッツよりも先に行列式を発見したともいわれる。西洋では数学は、ニュートン力学などの物理学とも密接に結びつき、近代科学を支えるものとして活用されてきたが、日本の和算は算師たちだけの不思議な知的遊戯となっていたらしい。橋を架けた...</description>
<dc:subject>小説</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-10-23T14:17:39+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://d-joker.up.seesaa.net/image/1.gif" alt="1.gif" width="85" height="125" border="0" /><br /><br /><br />日本の算学、つまり和算は中国から伝わったものが独自に発展し、江戸<br />の頃には微分、積分学にまで到達していたらしい。微積分の概念の発見<br />者はライプニッツ、あるいはニュートンとされるが、和算関流の創始者<br />である関孝和も、この二人とほぼ同時代の人物である。<br /><br />関孝和はライプニッツよりも先に行列式を発見したともいわれる。<br />西洋では数学は、ニュートン力学などの物理学とも密接に結びつき、近<br />代科学を支えるものとして活用されてきたが、日本の和算は算師たちだ<br />けの不思議な知的遊戯となっていたらしい。<br />橋を架けたり、城を造るための実用算術は必要としても、それを超える<br />高等算学など、無用の趣味的な学問にすぎなかったそうなのである。<br /><br />小野寺公二「算学武士道」（光文社時代小説文庫）は、算学に生きた武<br />士たちの悲哀のようなもを描いた短篇集である。<br /><br />算学師の世界には、しきたりがあった。<br />自ら難問を考え出し、解法を見つけた算師は、その問題と答えを額にし<br />て絵馬のように神社に奉納する。あるいは問いのみを板に書き記し、他<br />の算師たちに解いてみよと呼びかけたりする。見事解法を見つけたもの<br />は、算師としての名が上がる。<br /><br />世の原理のようなものを自ら発見し、算額として神に奉納する。<br /><br />算学師たちにとっては、こうした行為そのものが、何ものにも換えがた<br />い喜びだったという。<br />また評判が高まれば算学道場の教授の職を得たり、公儀や諸藩の役を貰っ<br />たりもできるのである。<br /><br />表題作の「算学武士道」は、老いた父とその介護に明け暮れるの母を持<br />つ貧乏侍の話。嫁の来てもなく、算学を唯一の生き甲斐としていた。<br />生活に追われているため、江戸に修業に行けなかった。そうした中、た<br />いして才能もなかった後輩に、難問の解法を先に発見される。<br /><br />「百五十年後の仇討」は、現代と江戸の数学が交差する話。高校の数学<br />教師だった男が、寺の住職から古い算額の整理を依頼され、算学勝負に<br />負けた自分の四代前の算学者のことを知る。そして先祖の無念を、現代<br />数学でもって晴らす。<br /><br />「自然は数学の言葉で書かれている」<br /><br />とガリレオ・ガリレイは言ったらしいが、江戸では高等数学が自然学（科学）<br />と結びつくことはあまりなかったようだ。あくまで抽象度の高い純粋数<br />学のみが深化していたのかもしれない。<br />それだけに、人ではなく、神に奉納されていたという話もおもしろい。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/25388709.html">
<title>ドビュッシーと松風</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/25388709.html</link>
<description>ドナルド・キーンは、コロンビア大学で教授・名誉教授として長く教鞭をとっている日本文学者だが、1年の半分以上は東京の自宅にいるそうである。勲二等旭日重光賞、菊池寛賞などを受賞し、2002年には文化功労者に選ばれている。文化勲章もありえるのかもしれない。外国人の文化勲章受章者にはアポロ11号の飛行士たちがいるが、文化功労者顕彰や宮中伝達式もない緊急特別の受賞だったようである。ドナルド・キーンと司馬遼太郎はよく対談していた。「世界のなかの日本―十六世紀まで遡って見る」司馬遼太郎／ド...</description>
<dc:subject>歴史・司馬遼関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-10-13T13:04:03+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122025109/dokusyonjoker-22/" target="_top"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4122025109.09.TZZZZZZZ.jpg" alt="世界のなかの日本―十六世紀まで遡って見る" border="0" /></a><br /><br />ドナルド・キーンは、コロンビア大学で教授・名誉教授として長く教鞭<br />をとっている日本文学者だが、1年の半分以上は東京の自宅にいるそう<br />である。<br />勲二等旭日重光賞、菊池寛賞などを受賞し、2002年には文化功労者に<br />選ばれている。文化勲章もありえるのかもしれない。外国人の文化勲章<br />受章者にはアポロ11号の飛行士たちがいるが、文化功労者顕彰や宮中伝<br />達式もない緊急特別の受賞だったようである。<br /><br />ドナルド・キーンと司馬遼太郎はよく対談していた。<br />「世界のなかの日本―十六世紀まで遡って見る」司馬遼太郎／ドナルド・<br />キーン（中公文庫）は、1990年の京都での対談をまとめたものとある。<br /><br />「はっきりしない言葉はフランス語ではない、といいますが、日本語の<br />場合は、はっきりしている言葉は日本語ではないといえます。」<br />（キーン・162ページ）<br /><br />話は、日本語と外国語の違いから、江戸の鎖国、儒学と実学、神道論、<br />近松、漱石などの文学、近世の美術などへと自在に飛ぶが、もっとも面<br />白く感じたものは「懐かしさ」と題された司馬遼太郎のあとがきにあった。<br /><br />ドナルド・キーンは世阿弥の謡曲「松風」を、文学として最高のものと<br />信じ、読むたびに感激するという。コロンビア大学の学生たちとともに<br />読んだときも、感激しない学生はいなかったという。<br />しかし、実際の能舞台を観て失望したらしい。<br />「じつは読み込むことによってできあがっていたキーンさんのイメージ<br />の方が、現実の能舞台よりも華麗で幽玄だったに違いない」と司馬はいう。<br /><br />「もっともそのイメージのなかでの音楽は、小鼓、大鼓、笛ではなく、<br />ドビッシーのような音楽だったそうだが。」<br /><br />内田百聞の短篇をもとに幻想譚を描いた鈴木清順監督の「ツィゴイネル<br />ワイゼン」を思い出した。<br />和の陰影の中に、サラサーテの音楽がすすり泣く映画である。<br /><br />「松風」は、貴人の行平を一途に想い続ける海女の、哀しくおろかな恋<br />を描く夢幻能。<br /><br />月はひとつ　影はふたつ　満つ潮の<br />夜の車に月を載せて　憂しとも思はぬ　潮路かなや<br /><br />ドビュッシーの「松風」があるとすれば、さらなる夢幻界へと誘われるの<br />かもしれない。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/24887514.html">
<title>信楽狸</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/24887514.html</link>
<description>「殿下の息がくそうございまする」淀はふくれた顔でそういった。秀吉の死因は胃癌ともいわれる。胃癌は強い口臭を発生させるらしい。末期の秀吉には実際に悪臭があったのかもしれない。「はよ、逝きなされ」淀はさらに呪いの言葉を吐いて、秀吉の死期を早めていた。女の妖気がただよう演技だった。功名が辻、第39回「秀吉死す」「わしはもはや実の子はのぞまん」一豊（上川隆也）はそう宣言した。千代への優しさなのだろうが、あるいは側室に魂を抜かれたような秀吉の姿を見て、思うところがあったのかもしれない。...</description>
<dc:subject>「功名が辻」関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-10-04T18:02:28+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/036afeb3.90d5defe/?url=http://www.rakuten.co.jp/tamachi/509009/520018/#511505" target="_blank"><img src="http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/tamachi/img128/img1004868823.jpeg" border=0 alt="信楽焼　シーソー狸貯金箱"></a><br /><br />「殿下の息がくそうございまする」<br />淀はふくれた顔でそういった。<br />秀吉の死因は胃癌ともいわれる。<br />胃癌は強い口臭を発生させるらしい。<br />末期の秀吉には実際に悪臭があったのかもしれない。<br />「はよ、逝きなされ」<br />淀はさらに呪いの言葉を吐いて、秀吉の死期を早めていた。<br />女の妖気がただよう演技だった。<br />功名が辻、第39回「秀吉死す」<br /><br />「わしはもはや実の子はのぞまん」<br />一豊（上川隆也）はそう宣言した。<br />千代への優しさなのだろうが、あるいは側室に魂を抜かれたような秀吉<br />の姿を見て、思うところがあったのかもしれない。<br />秀吉は、死後の権力に恋々とすることで、家を乱したような気がした。<br /><br />秀吉が逝くことで、恋こがれた天下人となる機会が家康にやってきた。<br />突き上げてくるようなあまりの嬉しさ、興奮、ある種の不安が綯い交ぜ<br />となり、呆けた狸のようにダラリとしたのかもしれない。<br />人間信楽狸だった。<br />性格俳優という言葉があるが、西田敏行は体格俳優とでもいうべきか。<br />演技力だけでは、信楽狸にはならないだろう。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/24656131.html">
<title>君が代とは？</title>
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<description>君が代は、明治の初め、まず英国人教師によって作曲されたという。原型はあった。江戸城の大奥で正月に詠われていた「おさざれ石」の歌だといわれる。御台所が将軍に年始のあいさつをするまえに、清めの儀式をした。そのときに詠まれたものだったらしい。君が代は千代に八千代にさざれ石のいわほとなりて苔のむすぶまで妻が夫に会うまえに詠むわけだから、これは夫の無病息災を願うものかもしれない。ずっと元気で将軍職を務めて欲しい、あるいは徳川の天下太平の世がいつまでも続いて欲しいという祈念の意味があるの...</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-09-30T11:56:48+09:00</dc:date>
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<a href="http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0276968c.b1149a92/?url=http://item.rakuten.co.jp/book/3843628/" target="_blank"><img src="http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/ogs_320008/3200080398.jpg?_ex=64x64" border=0 alt="君が代のすべて～永久保存版"></a><br /><br />君が代は、明治の初め、まず英国人教師によって作曲されたという。<br />原型はあった。<br />江戸城の大奥で正月に詠われていた「おさざれ石」の歌だといわれる。<br />御台所が将軍に年始のあいさつをするまえに、清めの儀式をした。<br />そのときに詠まれたものだったらしい。<br /><br />君が代は千代に八千代にさざれ石の<br />いわほとなりて苔のむすぶまで<br /><br />妻が夫に会うまえに詠むわけだから、これは夫の無病息災を願うものか<br />もしれない。<br />ずっと元気で将軍職を務めて欲しい、あるいは徳川の天下太平の世がい<br />つまでも続いて欲しいという祈念の意味があるのではないかと思う。<br />もともとは古今和歌集にも編まれた歌である。<br />長寿を願う歌、あるいは恋しい人を大切に想う歌ともいえるのかもしれない。<br /><br />維新後、すべて洋式となり国歌が必要となった。<br />御雇い英国人軍楽教師であるフェントンは日本の国歌を薩摩出身の原田<br />宗助に尋ねたが、原田は知らなかった。というより国歌がなかった。<br />幕臣だった乙骨太郎乙に相談した。乙骨は、さればこういう歌があると、<br />「おさざれ石」の儀式の歌を教えたらしい。<br />奇妙なことに原田も知っている薩摩の琵琶歌と同じものだった。<br /><br />フェントンがその節を譜面に取り、とりあえずの国歌となった。<br />1870年、フェントン作曲の君が代が観兵式で初演奏されたという。<br />その後、雅楽の林廣守が旋律を改め、ドイツ人海軍教師だったエッケル<br />トが編曲した。<br />これが、いまの君が代だという。<br /><br />この歌を、初めて国歌としたいきさつについては、司馬遼太郎の<br />「歴史の中の日本」（中公文庫 ）で読んだ。<br />参考にした史料は海軍七十年史談（海軍技術中将・澤鑑之丞）だといわれる。<br /><br />わが君は千代に八千代にさざれ石の<br /><br />古今和歌集の歌は詠み人知らずである。<br />大奥だけではない。大名も年賀の儀式に使ったという。室町幕府の典礼<br />をそのまま引き継いだものではないかと司馬は言う。<br />さらに謡曲、長唄、舟歌、琵琶歌として、日本のあちこちに広がってい<br />たといわれる。<br />日本人はこの歌が好きだったに違いない。<br /><br />君が代の起源はさらに謎に満ちている。<br />「邪馬台国はなかった」の著者である古田武彦は、わが君とは、筑紫の<br />王のことであるという説を唱えている。<br /><br />将軍の世を倒したはずの天皇の世が引き継いだというのも不思議である。<br />さらに国民主権の世となっても変わりがない。<br />それぞれにとって大切な、君が代があるのかもしれない。<br /><br />とにかく、いまの安定が続いて欲しいという願いなのである。<br />いかにも日本らしい。<br />改革、改革と御題目のように唱えるけれど、日本人は、変わることをあ<br />まり望んでいないのかもしれない。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/24393513.html">
<title>氏より育ち</title>
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<description>「氏より育ち」という。千代（仲間由紀恵）が邸の門前で拾い上げた子の氏素性（うじすじょう）は定かではないけど、強く賢い子に育った。悲しいほど一豊（上川隆也）を慕っていた。功名が辻、第38回「関白切腹」。拾（ひろい）は自分が捨て子だったということを知っていたという。拾われて、育ててもらったからこそ、父の期待に添う自分でありたいと思ったのかもしれない。父の命をよく聞き、強い武将になろうとしていた。その態度がいじらしく、一豊と千代の深い涙をさそった。捨て子に家督を継がせれば、のちの拾...</description>
<dc:subject>「功名が辻」関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-09-25T12:52:57+09:00</dc:date>
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「氏より育ち」という。<br />千代（仲間由紀恵）が邸の門前で拾い上げた子の氏素性（うじすじょう）<br />は定かではないけど、強く賢い子に育った。<br />悲しいほど一豊（上川隆也）を慕っていた。<br /><br />功名が辻、第38回「関白切腹」。<br />拾（ひろい）は自分が捨て子だったということを知っていたという。<br />拾われて、育ててもらったからこそ、父の期待に添う自分でありたいと<br />思ったのかもしれない。<br />父の命をよく聞き、強い武将になろうとしていた。<br />その態度がいじらしく、一豊と千代の深い涙をさそった。<br />捨て子に家督を継がせれば、のちの拾自身と山内家に災いをもたらすか<br />もしれない。<br />一豊と千代は拾を仏門に入れた。<br /><br />拾は臨済宗妙心寺の南化国師の弟子となり、のちに大通院二世湘南宗化<br />となる。<br />一豊の死後、千代は土佐を出て京の妙心寺の近くに移り住む。<br />早く拾のそばで暮らしたかったのかもしれない。<br /><br />拾によって妙心寺と山内家の関係が深まった。<br />大通院御廟屋には一豊と千代のふたつの卵塔（墓石）が並んでいる。<br />湘南宗化は、一豊夫婦とよね姫を終生供養したといわれる。<br />妙心寺大通院は山内家の菩提所となった。<br /><br />拾は蛙を捕まえて侍女を怖がらせていたが、僕も子供の頃にあれをよくやった。<br />自分が強い男子であることを誇示したかったのだろう。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/23677967.html">
<title>経世済民</title>
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<description>一豊（上川隆也）が、めずらしく書見していた。座敷で書に埋もれていた。何を読んでいたのかはわからない。国を治めるため、人智を知るための書のたぐいかもしれない。「武門と学問、両門がそろって初めて王道が開ける」という家康の言葉を、一豊は秀次の側で聞いていた。当時の学問とは何のことだかよくわからない。四書（論語、大学、中庸、孟子）、五経（易経、書経、詩経、礼記、春秋）が基本となるのかもしれない。四書五経には経世済民（経済）や治国、平天下の術のことが深く記されているようだ。「経済」とい...</description>
<dc:subject>「功名が辻」関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-09-13T07:24:50+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
一豊（上川隆也）が、めずらしく書見していた。<br />座敷で書に埋もれていた。<br />何を読んでいたのかはわからない。<br />国を治めるため、人智を知るための書のたぐいかもしれない。<br />「武門と学問、両門がそろって初めて王道が開ける」<br />という家康の言葉を、一豊は秀次の側で聞いていた。<br /><br />当時の学問とは何のことだかよくわからない。<br />四書（論語、大学、中庸、孟子）、五経（易経、書経、詩経、礼記、春秋）<br />が基本となるのかもしれない。<br />四書五経には経世済民（経済）や治国、平天下の術のことが深く記され<br />ているようだ。<br />「経済」という言葉には、「世を正しく治め、苦しむ民を救う」という<br />真義があるのだろうが、いまではカネのことばかりをイメージさせる言<br />葉になっている。<br /><br />一豊も槍働きだけではなく、大名として掛川築城や町づくり、治世のこ<br />とを勉強しなければならない。<br />功名が辻、第36回「豊臣の子」。<br /><br />秀吉が、大明国に攻め入ると言い出した。<br />ドラマなどでは、子をなくした悲しみのため、狂ったような暴挙にでた<br />という描かれ方もされる。<br />「天下安寧のためには、いくさは続けなければならない」<br />家康に与えた関八州は、豊臣の直轄領の石高を上回っていたともいわれる。<br />天下を獲るために大盤振る舞いを続けた秀吉には、もう与える領地がな<br />くなっていた。<br />朝鮮出兵は、ふくれあがった諸大名の論功行賞への不満を解消するため、<br />異国に領地を求めたものとする説もある。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/23136422.html">
<title>風呂敷のふしぎ</title>
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<description>風呂から上がると床に敷き、その上に足を乗せて体を拭いていたことから風呂敷という名がついたそうだが、江戸の人たちは、湯具や着物もさっと風呂敷に包んで銭湯から粋に出ていったらしい。風呂敷は小さな物、大きな物、丸い物、長い物など、なんでもうまく包む。一升瓶のようなへんてこなカタチも包めるし、包んでしまえば一升瓶の長さだけの持ちものとなる。風呂敷の面白さは、鞄や箱などの入れ物と違って、包む物にあわせて自身の姿を自在に変化させるところにあるのかもしれない。何かを風呂敷に包んで持っていく...</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-09-02T03:04:17+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0338e398.ecc4c002/?url=http://www.rakuten.co.jp/e-hanafusa/478186/504808/478479/#427980" target="_blank"><img src="http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/e-hanafusa/img128/img1045345039.jpeg" border=0 alt="正絹ちりめん友仙ふろしき雲取り（二四巾）"></a><br /><br />風呂から上がると床に敷き、その上に足を乗せて体を拭いていたことか<br />ら風呂敷という名がついたそうだが、江戸の人たちは、湯具や着物もさっ<br />と風呂敷に包んで銭湯から粋に出ていったらしい。<br /><br />風呂敷は小さな物、大きな物、丸い物、長い物など、なんでもうまく包む。<br />一升瓶のようなへんてこなカタチも包めるし、包んでしまえば一升瓶の<br />長さだけの持ちものとなる。<br />風呂敷の面白さは、鞄や箱などの入れ物と違って、包む物にあわせて自<br />身の姿を自在に変化させるところにあるのかもしれない。<br /><br />何かを風呂敷に包んで持っていく。帰りは折り畳んで懐に収めれば、手<br />ぶらで楽ができる。<br />持ち歩いてもじゃまにならないから、いざ、何かを持ち帰らなければな<br />らなくなったときにも重宝する。<br />包み方、結び方によって、担ぐ、背負う、抱える、提げるといった具合<br />に、どんなふうにも持ち歩ける。<br />風呂敷は単純な正方形の布だからこそ、変幻自在なのだろう。<br /><br />小池環境大臣は、「もったいないふろしき」というものを考案したよう<br />だが、これはペットボトルから再生した布地に花鳥図をあしらったもの<br />で、循環社会を築いてきた江戸の風呂敷文化を広げていきたいというこ<br />とらしい。<br /><br />スーパーなどでレジ袋を貰ってこないという、省資源を考える運動のひ<br />とつとして風呂敷を使う手もあるのだろうが、たんに風呂敷の不思議さ<br />を味わうという気持ちで使う方が楽しいのではないかと思う。<br />のれん、膝掛け、花瓶敷き、テーブルクロスなど、包むこと以外にも、<br />用途はいくらでもありそうな気がする。<br /><br />「夏の夜に 風呂敷かぶる 旅寝哉」　小林一茶<br /><br />一茶は、蚊帳の代わりとして風呂敷を使ったらしい。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/22921790.html">
<title>捨て子は強い</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/22921790.html</link>
<description>山内家の門前に男児が捨てられていた。千代（仲間由紀恵）は、その子を抱いて離さなかった。一豊（上川隆也）は「家督は継がせない」というが、山内家で育てることを認めた。子は拾（ひろい）と名づけられた。功名が辻、第34回「聚楽第行幸 」「捨て子は強い子になる」という言い伝えが古くからあったらしい。そのため、わざと拾や捨の字を使う場合もあった。秀吉も、淀殿との間に生まれた男児に拾という名をつけている。のちの右大臣豊臣秀頼である。秀頼の前に、もうひとり男児があったらしい。こちらの方は、お...</description>
<dc:subject>「功名が辻」関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-08-28T13:25:54+09:00</dc:date>
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山内家の門前に男児が捨てられていた。<br />千代（仲間由紀恵）は、その子を抱いて離さなかった。<br />一豊（上川隆也）は「家督は継がせない」というが、山内家で育てるこ<br />とを認めた。<br />子は拾（ひろい）と名づけられた。<br />功名が辻、第34回「聚楽第行幸 」<br /><br />「捨て子は強い子になる」<br />という言い伝えが古くからあったらしい。<br /><br />そのため、わざと拾や捨の字を使う場合もあった。<br />秀吉も、淀殿との間に生まれた男児に拾という名をつけている。<br />のちの右大臣豊臣秀頼である。<br />秀頼の前に、もうひとり男児があったらしい。<br />こちらの方は、お捨（鶴松）、つまり捨てられたという意味の名をつけ<br />られたが、育たなかったようだ。鶴松の死後、2年のちに秀頼が生まれ<br />ている。<br /><br />秀吉は、ようやく授かった男児が丈夫に育つよう、城の外にいったん捨<br />て、ふたたび拾い上げるという儀式じみたこともやったといわれる。<br />そのせいかどうか、秀頼は大きく育った。<br />慶長17年、19歳の秀頼に謁見したイスパニア使節セバスチャン・ビス<br />カイノの記録によると、六尺五寸を超えるという、とんでもない巨漢だっ<br />たようだ。身長は2メートルに近い。しかも相当な肥満体だったらしい。<br /><br />千代と一豊の拾は、出家し、妙心寺大通院二世湘南宗化となる。<br />千代のために、大通院に見性閣を建立した。
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<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/22782728.html">
<title>子猫殺し「池猫」</title>
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<description>作家・坂東眞砂子の「子猫殺し」なるものに批判が集まっているらしい。日経新聞（8月18日夕刊）に寄稿したエッセイで、板東氏は子猫を殺していると「告白」した。タヒチ島に住む氏は、雌の猫を三匹飼っているという。これらが子を産むので、生れ落ちるや、子猫を隣の崖下の空地に放り投げているというのである。氏は避妊手術という処理方法を選ばなかったようだ。「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」というのである。ただし、タヒチはフランス領で、こうした...</description>
<dc:subject>小説</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-08-25T08:41:02+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
作家・坂東眞砂子の「子猫殺し」なるものに批判が集まっているらしい。<br />日経新聞（8月18日夕刊）に寄稿したエッセイで、板東氏は子猫を殺し<br />ていると「告白」した。<br />タヒチ島に住む氏は、雌の猫を三匹飼っているという。これらが子を産<br />むので、生れ落ちるや、子猫を隣の崖下の空地に放り投げているという<br />のである。氏は避妊手術という処理方法を選ばなかったようだ。<br />「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任と<br />して子殺しを選択した」<br />というのである。<br />ただし、タヒチはフランス領で、こうした行為はフランスの刑法に抵触<br />する可能性があると指摘する向きもある。<br /><br />坂東眞砂子は「日本ホラー小説大賞」出身の作家といえるのかどうかわ<br />からないが、「蟲 」（角川ホラー文庫）という作品が同賞の第1回佳作<br />となっている。<br />「第6回日本ホラー小説大賞」の大賞作品となったのが、岩井志麻子の<br />「ぼっけえ、きょうてえ」（角川ホラー文庫）で、こちらは人間の子殺し、<br />すなわち、かつて日本の寒村で実際に行われていたという「間引き」の<br />話が物語を綴る上での大切な要素のひとつとなっている。<br /><br />動物は「余分」に子を産むようになっている。<br />魚などは無数といっていいほどに産む。<br />それが自然のなかで、うまく育たなかったり、他の生き物に食われたり<br />して、ほとんどが親になるまで生きていない。自然に適正な量となり、<br />種が存続している。<br />自分で間引いたり避妊しなければならない人間と、そしてその人間社会<br />との関わりのなかで生きている家猫や家犬は、ともに奇妙な動物といえ<br />るのかもしれない。<br /><br />子猫殺しで思い出すのは、筒井康隆の「池猫」という掌編である。<br />(「にぎやかな未来」所収／角川文庫)<br />男は少年の頃、飼い猫がやたらに子を産むので、しまいには面倒になって、<br />片っ端から近くの池に子猫を捨てるようになった。<br />成長し、実家を離れた男が、ある日帰省した。<br />ふと思い立って件の池を見に行った。<br />男はそこで、世にも恐ろしいものを目撃した。
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</item>
<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/22612794.html">
<title>無事是名馬</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/22612794.html</link>
<description>法秀尼が他界した。千代（仲間由紀恵）の深い涙が、一豊（上川隆也）の悲しみを和らげてくれたような気がした。功名が辻、第33回「母の遺言」。上川隆也は「無事是名馬を目指す」の精神で、大河ドラマという長丁場を戦い切る思いを表していた。「無事是名馬」は、突出した力はなくても、怪我をしないで長く走る競走馬こそ名馬であるという意味合いの、菊池寛が放った名言。「無事是貴人」を捩ったものらしい。「無事是貴人」は、臨済義玄の語録「臨済録」にある言葉で、歳末などに大過なくすごせた1年に感謝する気...</description>
<dc:subject>「功名が辻」関連</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-08-21T09:36:15+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
法秀尼が他界した。<br />千代（仲間由紀恵）の深い涙が、一豊（上川隆也）の悲しみを和らげて<br />くれたような気がした。<br />功名が辻、第33回「母の遺言」。<br /><br />上川隆也は「無事是名馬を目指す」の精神で、大河ドラマという長丁場<br />を戦い切る思いを表していた。<br /><br />「無事是名馬」は、突出した力はなくても、怪我をしないで長く走る競<br />走馬こそ名馬であるという意味合いの、菊池寛が放った名言。「無事是<br />貴人」を捩ったものらしい。<br />「無事是貴人」は、臨済義玄の語録「臨済録」にある言葉で、歳末など<br />に大過なくすごせた1年に感謝する気持ちの表現として使われることが<br />多い。もっとも禅語であるから本来は、いかようにでも深い意味を創り<br />出せる言葉だろうとは思う。<br /><br />また、山本周五郎の短篇小説に「日々是平安」というのもある。<br />黒澤映画「椿三十朗」の原作ともなった。三船敏郎の演じた抜き身の刀<br />のようにギラギラした「椿三十朗」とやや違って、主人公は、のほほん<br />とした感じで気ままに人生を送っているような風である。<br /><br />人間は特別なことをしないで、ただ生きていくだけでもいろいろ辛いこ<br />とがあるし、業のようなものは日々積み重なっていく。自分は何もしな<br />くても周囲の問題が飛び火してくることもある。怠けていたツケは必ず<br />あとから支払わされる。親はいつまでも生きているわけではないし、次<br />第に責任のようなものがのしかかってくる。<br />ただふつうに生きて、天寿をまっとうするだけでも人は貴いのかもしれ<br />ない。<br />「無事是名馬」となることは、大変な努力と気配りがいるのではないか<br />とも思う。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://d-joker.seesaa.net/article/22540461.html">
<title>穴の底</title>
<link>http://d-joker.seesaa.net/article/22540461.html</link>
<description>人間にとって穴というのは一体なんだろうかと思う。「穴があったら入りたい」という慣用句があるように、恥ずかしくて穴に逃げ込みたくなるようなこともあるが、逆に穴から這い上がりたいと足掻くこともある。「人を呪わば穴二つ」という諺はおそろしい。他人を落とすための穴を掘っていて、ふと振り返ったら、自分が落とされるための穴も掘られていた、というようなイメージの怖さがある。伊藤人譽の「穴の底」（人譽幻談 幻の猫所収／龜鳴屋）は、誰がなんのために掘ったのかわからない穴に落ちてしまった男の話で...</description>
<dc:subject>小説</dc:subject>
<dc:creator>読書人ジョーカー</dc:creator>
<dc:date>2006-08-19T13:59:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
人間にとって穴というのは一体なんだろうかと思う。<br /><br />「穴があったら入りたい」という慣用句があるように、恥ずかしくて穴<br />に逃げ込みたくなるようなこともあるが、逆に穴から這い上がりたいと<br />足掻くこともある。<br />「人を呪わば穴二つ」という諺はおそろしい。<br />他人を落とすための穴を掘っていて、ふと振り返ったら、自分が落とさ<br />れるための穴も掘られていた、というようなイメージの怖さがある。<br /><br />伊藤人譽の「穴の底」（人譽幻談　幻の猫所収／龜鳴屋）は、誰がなん<br />のために掘ったのかわからない穴に落ちてしまった男の話である。<br />伊藤人譽は室生犀星の弟子で近年、読書通の間で話題になっている作家<br />らしい。人譽幻談は限定五百十四部ということで入手はしていないが、<br />図書館で借りてきたアンソロジーで「穴の底」を読むことができた。<br />男は山の登山道からそれた道で、ある穴をみつけた。好奇心を起こして<br />近づいたところ、その穴に落ちてしまった。どうということはない穴だ<br />と思ったが、あと一歩が届かない。あらゆることを試みるが、あと一手<br />が届かないのである。次第に人間一人ではどうやっても這い上がれない<br />穴であることに気づき始め、絶望が襲ってくる。<br />しまいにはドッペルゲンガーだか幽体離脱だかはしらないが、男は男の<br />自己を観察し始めるのである。<br /><br />自己ではなく、他人の脳の中に入って世界を観察する奇妙な映画「マル<br />コビッチの穴」というのもあった。主人公はビルの7階と8階の間に存在<br />する、やたらに天上の低いオフィスで働き始めるが、そこで奇妙な穴を<br />発見する。穴はなぜか俳優ジョン・マルコヴィッチというスキンヘッド<br />の男の脳の中に繋がっているのである。<br /><br />一方、安部公房「砂の女」は、穴に落ちた男が他人から観察される話で<br />ある。<br />男は昆虫採集の途中で、砂の穴に陥る。砂の中の砂の家には女がいた。<br />女は砂の家で暮らすことに慣れていた。男は逃れようとするが、次第に<br />女とともに砂の生活に入ってゆく。村人たちは砂穴の中の男女を地上の<br />世界から観察する。<br /><br />人間、いつどこでどんな穴に出くわすかわからない。<br />誰がなんのために掘ったのかもわからない穴があちこちにある。<br />好奇心を起こして飛び込まなくても、ふと落ちてしまうかもしれない。<br /><br />また、知らぬ間に他人を落とすための穴を自分が掘っているのかもしれ<br />ないのである。
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